金沢聖書バプテスト教会

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たねまき1〜6

たねまき1 

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たねまき Vol.1


エホバの証人から救出されて1





私は、小さい頃から父親に、「人が何故生きているのかを考えながら生きなさい。」といわれ、結婚した頃には、自分なりの答えとして、「いつ死んだとしても、『幸せだ』と感じられる行き方をすること自体が目的だ。」と思っていました。宗教についても、特に悪い印象もなく、信じたい人が信じればいいと思っていました。



 そんな時、一人のエホバの証人の男の人が訪問して来て、私の生きる目的の答えについて、疑問を投げかけたのです。「あなたは、今幸せだからそう思えるのではないですか?地球の裏側には、今日食べるものもなく死んでゆく子供たちが大勢いて、助けを求めているのに、あなたは何ができますか?その子達やその母親たちは、それでも『幸せだ』と感じることができますか」丁度お腹に一人目の子供を妊娠していた私は、「もし、目の前で子供が苦しんで死んでいったら、それでも『幸せだ』と思えるだろうか。」と不安を覚えました。それから毎週のように男の人が訪問してきて、いろいろな話し合いをしました。そして最後に、神様がエデンの園に置かれた善悪の知識の木の是非についての話になって、どうしても私が納得できないのを見て、その人が、「聖書を読んでもらえば全て分かるのですが・・・。」とつぶやいたのです。その一言で、私は聖書研究を始めることになりました。



 確か今から11年前のことです。もともと聖書に対しては権威を感じていましたし、どんなことが書いてあるのか知りたいとも思っていたので、「聖書を勉強する」ことに対し、少しも疑いの気持ちは抱いていませんでした。また当時の私は全くの世間知らずで、新興宗教についても、名前すら(エホバの証人も)知らなかったのです。



 ですから、エホバの証人の聖書そのものが正しいかどうかなど、考えてもみませんでした。また、聖書を教えに来てくださった女性もとても魅力的な方で、親切にして下さり、私はすっかり安心して、まじめに勉強し始めました。ただエホバの証人の書いた出版物だけは使いたくなかったので、始めは聖書だけを用いていました。・・・というのは、本の内容が、その時の私には全くの理解できず、むしろ聖書の理解を難しくしているように思えたからです。けれど、その女性の方(司会者と呼びます)は、「もっと聖書を知れば、この本に書かれたこともよく分かるようになります。」と言って、半年ほどすると、いつの間にかその本を中心に勉強するようになっていました。そして不思議なことに、一年も経つと、最初の頃には「変だ。おかしい。」と思っていた文章も、「そうだそうだ。」と思えるようになって行ったのです。



 それまで、兵庫県の西宮に住んでいた私たちは、聖書研究を始めて一年くらいで、金沢へ引っ越すことになりました。さらに半年して、能登の方へ行くことになり、「もう聖書の勉強もおしましだわ。」と思っていましたら、能登の田舎で、またエホバの証人の訪問を受けたのです。西宮の方から連絡があってきたとのことで、私は「こんな田舎に!?」と少々驚きました。それでも、この時の司会者もとても素敵な人で、私と同い年だったこともあり、初めての土地で、しかもほとんど若い人のいない田舎では、話をするだけでも楽しい時を過ごせました。その方は、二世(両親もエホバの証人)で、親元を離れて伝道の必要な土地へ派遣されてきていた開拓者と呼ばれる人でした。美人で賢く、とても熱心で、聖書にもよく通じ、何よりも親切で魅力的だったので、私は「こんな人みたいになりたいなあ。」とあこがれていました。



 そんな訳で、能登へ着てからは聖書研究がどんどん進み(実際にはテキストを学んでいたのですが)とうとう、集会に出たいと思うようになりました。最初は日曜日だけでしたが、その内に平日の夜にも出掛けていくようになりました。最初「聖書の勉強なら。」と言って気軽に思っていた主人も、この頃には「何か変だ。」と思っていたようです。けれども、何が変なのか、またそれをどうやって確かめればよいのか分からず、ただ一人で夕食を食べることに不満を言うだけで、あとは一言言うと倍になって返ってくる、主人の知らない私の勢いに押されて、結局ズルズルと話し合いのないまま時が過ぎていきました。



 そうこうしているうちに、私の学びも深まり、私は、本当にハルマゲドンが来ること、家族を助けられるのは、私がエホバの証人としてしっかり立つことだと信じるようになり、伝道に出てエホバの為に働きたい、一人でも多くの人に助かってもらいたい、と思うようになりました。能登に来て2年が経っていました。伝道は、正直言ってとっても大変でした。暑い夏の日、吹雪の冬の日、二人の子供(4歳と2歳)を連れて歩くのはかわいそうで迷いました。田舎は伝道区域も広く、家も点在していて毎日くたくたになりました。それでも「エホバが喜んでくださる。」「誰かが助かるかもしれない。」と思うと、また出て行くのです。今思うと、あの力は何だったのだろうかと思います。結局、狭い田舎で私の噂が広まり、それが金沢の主人の両親の耳に届いて、私たち家族は金沢へ呼び戻されることになりました。けれども私は、エホバの証人として生きることをやめようとは思っていませんでした。

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