御言葉メール 88
2005年6月4日
「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。』」(使徒4章19節)
私たち人間は、人に従いたくないものですね。その人に合わせると、自分が低くされたかのように思われて、何かとても惨めです。特に私など、牧師という働きをしていると、教会員の兄姉が従うのは当たり前という傲慢さが心に沸きます。
全く自分が嫌になります。更に人とは、嫌らしい者で、社会的に高く評価をされる立派な肩書きを持つ人や、有名人に従うのは、意外と平気なのです。むしろ、従う事を誇りにさえ思えるのです。しかしこのような従い方は、私が最も嫌う、「虎の威を借りる狐」の譬えにある権威を笠に着た姿です。
では、キリスト者が従うというとはどのようなことを言うのだろうか。先日、些細なことで、ある同僚と意見が分かれました。その時彼は、「私は先生に従います」と言われたのです。その時とても違和感を覚えました。
本質的なことではないし、どちらでも良いことに対して「従います」の言葉は、一見とても謙遜に映るのですが、とても不快でした。私は従ってもらいたくはないのです。
一致して神の栄光を表したいのです。この上下関係を表す言葉は、嫌でした。私たちが従うべきお方は、神お一人のはずなのですから。
御言葉メール 88
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