金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール119

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御言葉メール119
2005年9月21日
「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(エステル5の16)
エステル記は聖書中、唯一「神」という名が出てこないところとして有名です。しかしそのストーリーは、むしろ隠れておられる神を浮き彫りにします。
ペルシアという異国の地で、ユダヤ人の娘が王の后に選ばれる、この中にユダヤ人同胞を救うための神の見えざる御手を見たエステルは、自分の命をかけて同胞を救う決心をします。私はこの書を読む度に、私の生活全般にわたって、愛なる神様の御配慮と見えない導きの御手を覚えては恵みを受けています。
神の見えざる御手が、その環境、思い、決心の元にあることを考えさせられる時、罪ある者ではあるけれども、そういう者に目を留めてくださる神様を深く思う時が与えられるからです。それはまた、見えない神を意識する事によって、見える自分や人、物が本当にちっぽけに思える時でもあります。
悩みがある時など、その事しか目に入らなくなってしまう私でも、見えざる神の御手を覚える時、フーセンのようにふくらんでいた事がそうでもない事に気ずかされる。どうか私達の日常生活の全てを通して、神の見えざる御手を見る事ができ、隠されている神のみこころに目を留める事ができますように。

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