御言葉メール389
2008年5月24日
「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」(箴言17の17)
娘が統合失調症になってから、私達の実家の親達は、「困ったものだ」と嘆き悲しみました。その病気の症状、また病気としての理解が十分ないことからの辛さもありますが、自分達がどうしてやることもできない無力さが、「困ったものだ」と言わせるようです。
身近な人の困った事、面倒な事、自分に都合の悪い事が起こった時、人は「困ったものだ」と、口ずさみます。しかし、どんな最悪な状況の中にも神様の善なる御計画を信じれる時、他者の苦しみも単に嘆くだけでなく、分かち合う機会としていけるのではないでしょうか。私達は神様の愛を教えられて初めて、自分と人を愛する事がどういうことかを教えられていきます。
問題のあるところに、ただ「困ったものだ」と頭を抱えるだけでなく、また人を責めて終わるのでもなく、見捨ててしまうのでもない。周りからどのような評価を受けていても、その苦しみに、自分は何ができるかを祈りながら考えようとする。それが一人一人、現し方は違っても、苦しみを分け合う事になるのではないでしょうか。
御言葉メール389
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