御言葉メール406
2008年8月2日
「この世の終わりにもそのようになります。御使いたちがきて、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」(マタイ13の49,50)
現実の生活で四苦八苦している者にとって冒頭のみことばは、あまりにも非現実的にしか映らないかもしれません。これは人間には、肉体的な死だけではなく最後の審判とその後の永遠があるのだ、という宣告です。
信じる信じないにかかわらず、神の約束は必ず成る事は歴史が証明するところです。人間は死んで終わりではなく、肉体をもった地上での生活の総決算を必ずしなければならないのです。この事実に向き合う時、私達は今の自分の生き方を否が上にも考えざるを得ないのではないでしょうか。私達を取り巻く環境、抱えている問題に対しての視点は変わるでしょう。
今の悩みや辛さ、罪の誘惑、将来への不安もこれが自分の全てではないことを教えられる時、そこに希望があります。キリストを信じて救われるという約束は、最後の審判の時に私達を救い出します。そのことは、現実に抱えている問題にも平安とゆとりの中で、方向を必ず示してくれる事でしょう。
御言葉メール406
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