金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール565

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御言葉メール565

2011年1月15日

「ああ、私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。」(イザヤ6の5)

私たちが罪を自覚するのは、どんな時でしょうか。勿論、罪について教えられることが先行します。教えられた罪を、自分の問題として経験することが、クリスチャンの信仰の歩みであり成長といえるでしょう。

預言者イザヤは、主を見るという驚くべき体験をします。ともすると人間は、霊的と言われる体験をする事で、自分を誇るということもありますが、イザヤはそうではありませんでした。想像を絶する神の聖さと栄光の臨在に、自分の汚れと罪の深さに圧倒され、「私はもうだめだ」と叫ばざるを得なかったのです。無力さの極みの中では、祈りすら出ません。しかし、主の方から近づいて下さった。

主の命令によるセラフの行動と宣言により、イザヤは罪の赦しを確信します。私達も自分の内面を深く探られ、祈りの言葉すらでない時もあるでしょうか。その時は、神様があなたにご自分の恵みを更に深く教えようとされている時です。あなたが呻くことしかできなくても、神様の方であなたに必要なものは全て用意されています。

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