御言葉メール591
2011年7月23日
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。」(ヨハネ4の13,14)
90歳になられる入院中の女性を訪問しました。その方との交わりの中で、自分は自分なりにやりたい事をやってきたので悪い人生ではないが、良い人生だったとは言えない。それは満たされないものがあるからだ、と言われました。
イエス様がサマリヤという町の井戸の側で会われた女性は、彼女の人生の最も暗い部分、人に知られたくない闇を明らかにされる必要がありました。楽しい充実した人生であっても、満たされない何かがある事。諦めきった、投げ出した様な人生であっても、実は心の奥深くに飢え渇きがある事をイエス様は、一人一人に教えてくださる。
何一つ不自由の無い生活でも、山積みの問題に囲まれていても、先ずその中に満たされない渇きを覚える人は幸いです。その渇きは、必ず永遠のいのちであるイエスキリストに導くでしょう。神であるイエスキリストだけが、渇く事のない水を泉のように溢れさせてくださる。どうぞ「私は渇いています」と祈り、主を期待できます様に。