御言葉メール602
2011年10月8日
「あなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。」(ヨハネ16の27)
実に多くの宗教がこの世にはあります。たいていその宗教の中心には、神仏や特別な人間、思想が存在します。その者への帰依、また願い成就のために様々な方法がとられる。修行、おふせ、奉仕、集会出席、お誘い等。
これらは全て人間のできる限りの行いを要求するものではないでしょうか。人間の考える知恵は、どこまでいっても自分の努力、行いで良くなる、受け入れてもらう、という所までです。しかし聖書は人が思いもよらない事を告げる。イエスキリストを信頼する者を神は愛して受け入れてくださる、と。イエスを信じる、ただ信じる、これは自分で思考し努力する大切さを知る人間にはあまりにも愚かの極みです。
でも、どんなに戸惑っても私達の罪を赦す道はイエスを信頼する事以外にありません。そうと知れば私達は大胆に、自分の思いと行いがどれほどひどく、醜くても、キリストの故に神に受け入れられている事を確信するのです。この感謝は様々な行いとなって後からついてくるでしょう。