御言葉メール610
2011年12月3日
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(使徒の働き1の14)
イエスの昇天後、お弟子さんや婦人達、イエスの家族は、みな心を合わせ祈りに専念していました。やがて聖霊が下られてキリストの教会が設立される為の、人間の側の備えでした。
キリスト教会は人間の綿密な計画や努力によってできたのではありません。祈りながら待ち望んでいた聖霊降臨によって始まり、今も聖霊によって教会は導かれているのです。血縁関係でもなく今まで何の関わりもなく生きていた人達が、キリストによって集められる。人との関わりも勿論、発生します。しかし何よりも、導いて下さった神様に、心を合わせ祈りに専念するという神への応答こそ教会のいのちです。
教会は洗脳もマインドコントロールもないのに、聖霊なる神が一人一人に働かれて、様々な人種や気質があるにも関わらず、同じ神を同じ内容で告白する。これは神の業であり人の業ではありません。どうか、私達が「みな心を合わせ祈りに専念」する事によって、それぞれの教会で、神の業を確認していく事ができます様に。