金沢聖書バプテスト教会

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神の主権性 神の本性と信仰生活

神の聖定

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 神は、万物を創造し、保持し、治めておられるゆえに、すべての存在に対してご自分の思うことをなされる権利を持つお方であることを学びました。これは、神が所有される存在への自明の権利であります。もう一つ、聖定という言葉があります。神がご計画をされたことを確実になしとげられる、そのご計画のことを聖定と言います。第二ロンドン信仰告白によれば、「神はご自身で全き永遠からご自身の意志の最も賢く、聖い計画によって,起こり来たるすべてのことを自由にまた不変的に定められた(イザヤ46:10、 エペソ1:11、 ヘブル6:17、 ローマ9:15, 18)。しかし、それによって神は罪の創始者とはならず、それといささかも関係を持たず(ヤコブ1:13, 15, 17、Ⅰヨハネ1:5)、また被造物の意志に侵害が加えられることもなく、第二原因の自由や偶然性が奪われることもなく、むしろ確立されるようになされ(使徒4:27-28、ヨハネ19:11)、これによってすべてのことを処理する知恵や、その聖定の遂行の権能や誠実をあらわされた(民数23:19、 エペソ1:3-5)」のです。
 聖定は、神に決定権があり、神から発するということにおいて、神の主権性と関連しています。この聖定について、少し学びます。

聖定の教理の引用聖句について

 この聖定という教理が、どのような御言葉に基づいているかを見ることによって、聖定が私たちにどのような意味を持つのか見ていきます。今回は、第二ロンドン信仰告白の証明聖句を見ていきます。まず、イザヤ46:10には次のように書かれています。「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う」。この言葉は、イザヤ40章から始まる、イスラエルの回復と救いに関する預言の一部であり、人が造った偶像と永遠なる神との対比で語られています。イザヤ39章ではバビロン捕囚について語られており、40章からは第一義的には、そこからの帰還について書かれています。それは44~45章で、イスラエルに帰還命令を出すペルシャ王クロスの名前と、神殿再建について書かれていることでわかります。そして、この46章も13節において「わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの光栄を与える」と言って、イスラエルの救いに言及しています。つまり、この神の「はかりごと」というのは、第一義的には、バビロン捕囚からの帰還を指します。9節では、「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神であるほかにはいない」と言い、10節で「終わりの事を初めから告げ…」と言われています。これは、アブラハムに対する子孫の約束、出エジプト、カナン入国などの出来事すべてをさしていると言われます。これらはみな、新約聖書では神によってなされる救いの型を示す出来事であり、40章からの預言もイエス・キリストによる救いの預言として多く引用されている箇所です。これらのことから、46:10の「はかりごと」の中心は、救いのご計画にあることが言えます。

 次にエペソ1:11です。「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです」。これは、1:4,5にも同じようなことが書かれていて「私たちを世界の基のおかれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のないものにしようとされました」と言われていて、明らかにキリストによる救いについて言っています。そして、その理由は「それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです」と言われています。11節も「ご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです」とあって、「目的に従って」と言われています。その目的は12節で「それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです」と言われています。ここで、「私たち」というのは異邦人であって、パウロたちユダヤ人クリスチャンの宣教によって救われた人々に対して、言われている言葉であって、ユダヤ人クリスチャンあるいは使徒と考えられます。それは、13節で「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました」と言われていることによって明らかです。2:11でも「あなたがたは、以前は肉において異邦人でした」と言われています。そして、このユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンがキリストにあって一つとされたことが、2章に書かれ、1:10でも「みこころの実行」が「キリストにあって一つに集められる」ことであると言っています。このことから、この箇所で言われている神のご計画の実現というのは、キリストによる救いに関することと、それ以上に救いに関するユダヤ人クリスチャンの選びと、異邦人クリスチャンの救いの順序、秩序、また和解によって神の恵みが豊かに褒め讃えられることであることがわかります。使徒10:41でも、十字架の復活の証人は、「神によって前もって選ばれた証人である私たち」と言って、使徒ペテロたちについて言っています。
 実は、もう一つの証明聖句であるローマ9:15,16もこのユダヤ人の救いと、宣教と、異邦人の救いの関係において言われています。
神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。                 ローマ9:15,16
 これは、救いというものが人間に救いを受けられる原因があるのではなく、一方的な神のあわれみによることを主張している箇所です。あらかじめ選ばれたイスラエル人がかたくなにされたことによって、あわれみによって異邦人に救いが及んだことが述べられており、それはまた、イスラエル人もあわれみによって救われる為だと11:28~32で述べられています。そして、このことについて「なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:34~36)と言われています。実は、この聖句も、よく聖定の証明聖句として引用される箇所です。
 これらのことから見ますと、聖書が聖定のことを述べているのは、すべて救いに関してであり、その救いは神の主権的、一方的なみこころ、あわれみによるのだということ、それを示し、またその愛とあわれみの栄光がユダヤ人にも異邦人にもほめたたえられて、神に栄光が帰されるために、この聖定が定められ、聖書に教えられていることが解ります。

まとめ

 ですから、聖定というのは、葉っぱが落ちたとか、髪の毛が何本あるとか、そのような些細なことすべてについて神が決定しておられるということを意味しているのではなく、神の救いのご計画に関して、その目的が時間にも、人間の意志にも、自然環境にも、その他あらゆるものに妨げられることなく、確実に実行されることを言っています。そして、それは、神の主権的な決定によるのであって、人間が誇れるものは何もないことを教えると同時に、救いは、私たちの罪や弱さや失敗などにおいて、あるいは国家や様々な周囲の環境によって妨げられることなく、実現、成就することを教えており、それはイエス・キリストの十字架がそのように成就したことにおいて、明らかに示されています。そのようにして救われた者たちに「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」 (ローマ8:28)と書かれており、それは、「知っています」と言われているように、8:29で私たちの救いが神のご計画によって、神の一方的な恵みによって救われたのだから、罪人である私たちをそのように救いに招かれたことを根拠に、知ることができるということが言われています。そして、このローマ8:28は、罪との戦いに苦しむ、苦しみについての、希望、励ましとの関連で言われているのです。

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