御言葉メール675
2013年3月30日
「ちようどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に・・」(ローマ5の12)
アダムが罪を犯した事によって、その時一緒に居なかった私達も罪人と指定され(みなされ)罪人の部類に入れられた。こういう事を聞くと、なぜアダムのために、その時一緒に居なかった私達まで罪人扱いされないといけないのかと不満に思う事もあるでしょう。
これに対しては、現実に生きる私達自身がすでに罪の罰を受けている者である事を確認することができると思います。怒り、憎しみ、妬み、欲望に支配されその結果の行動は自分も人も傷つける。また人も自然も破壊するという罪の中に生きています。しかし大切な事は、私達が罪人とされるのは上記の様な罪深い性質を持っているからではありません。その逆です。
罪人だから醜い性質があり破壊的な行いをするのです。この違いをわかっていただけるでしょうか。別の見方から言うと、私達がどんなに自分の罪がわからなくても、感情的にはそう思えなくても、私達は罪人なのです。これが、一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされた、という意味です。これを理解する時、今度は、罪を現実に持って生きている私達が、その行いに関係なく義人とされる素晴らしさがはっきりするでしょう。