御言葉メール713
2014年01月18日
「さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。」出エジプト記1:1
「さて、」という出エジプト記の始まり方に目が留まりました。聖書の他の書に、このような始まり方をするものはありません。1つの独立した書ではなく、続きのような書き方です。
創世記の終わりのところで、神様の選ばれた民は、約束の地からはるかに離れたエジプトにいます。50章26節、「ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた。」悲しい、暗い終わり方ではありませんか?神様はアブラハムに、子々孫々までの祝福の約束と約束の地を与えたのに、事はスムーズに行かず、創世記の最後では、家族皆がエジプトに移り住むということになってしまいました。人々の罪のなせるわざとはいえ、イスラエルはもうこれで終わってしまうのでしょうか?
しかし、冒頭の言葉「さて、」に私たちは希望を見出します。回りの状況がどんなに暗く、悲惨に見えても、神様のご計画は一つも揺るぎなく進められているのです。
1章8節にも「さて、」があります。民が奴隷になるという、どんでん返し。大きな悲劇的な展開です。そしてさらに2章1節にもう一つの「さて、」。神様が立ち上がっていよいよご計画を進められる様子が見えるようではありませんか?
新しい年が始まりました。私たち一人一人の歩みにおいても、神様は「さて、」と言って私たちの背中を押して下さっているのではないでしょうか?主のみわざに期待して、今年も「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進」ませていただきましょう。
(記 宣教師夫人)