御言葉メール821
2016年3月5日(記:斎藤文子)
「ナボテはアハブに言った。『主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。』(第1列王記21の3)
私達は自分が不利な立場に立つとき、その様なところから神が守って下さる様に祈り求めます。神は義なる方ですし、自分の罪の結果であっても神の赦しは全ての罪を無いものの様にしてくださる。
だから、神の守りを大胆に祈り求めれる。しかしそういう中で、自分の願いが叶わない事が続くと神への信頼まで失ってしまう事があります。イスラエル王国でアハブが王であった時、ナボテという人が、ぶどう畑をもっていた。自分の欲しいものは何でも手にいれたいアハブは、そのぶどう畑が欲しくて他の土地をやるから譲って欲しいと頼みます。しかしナボテは王に冒頭の様に言うのです。神の律法は、おのおの父祖の部族の相続地を堅く守らなければならない、と教えています。
たとえ王の頼みであっても、王以上の主権者である神のことばと教えに従うことはナボテにとって当然でした。それを聞いた王の后イゼべルは卑怯な手段を使ってナボテを殺します。たかが、ぶどう畑一つで殺されるなんて、と私達は思うかもしれません。しかしナボテにとって、自分が不利になるとかほめられる事以上に、どんな時にも主権者なる神に従う幸いを、みことばを信じて歩む事で教えられていたのでしょう。私もそうありたいと願わされます。