御言葉メール871
2017年2月18日(記:斉藤文子)
「わたしは近くにいれば、神なのか。ー主の御告げー遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。ー主の御告げー天にも地にも、わたしは満ちているではないか。ー主の御告げ。ー」(エレミヤ23の23~24)
日本人は神社仏閣、また家の仏壇等に手を合わせます。礼拝行為の時、目の前に神々の像が置いてあると、人間は手を合わせやすくなります。また、そういう像が何もないよりも、その神々をとても近くに感じるのも事実でしょう。
イスラエルが住んでいたカナンの地の神々、バアルやアシェラ等もそうでした。特にバアルは農作物の豊穣をもたらす神として、地域に深く根ざし、カナンの神々の聖所と結びついていました。地域と自分達に豊かさをもたらしてくれる神々は、ひたすら地域限定の神々です。
しかし「遠く」という言葉であらわされる聖書の神は、被造物を超越している。限りなく高きところにいます聖なる神です。それでありながら、天にも地にも満ちている神である。この神から逃れる場所はこの世界には存在しません。という事は、この世界の全てに満ちて存在される神であるから、この神こそ、私達のすぐ近くにおられる神なのです。私達の見えない心の罪と汚れを知りそれを赦し、私達がどこにいても共にいてくださる。見えないけれども、聖書のことばを通して私達はそれを確信するのです。