御言葉メール909
2017年11月21日(記:辻嵐桂子)
[[これは、どんなときにそれが汚れているのか、またどんなときにそれがきよいのかを教えるためである。これが、らい病(ツァラアト)についてのおしえである。(レビ記14章56節)
13章と14章はらい病(ツァラアト)についてのおしえである。これは当時最も恐れられ、嫌われた主に皮膚の病気で、その疎ましい性質の故に社会から疎外され、長期化して、そのまま死に至るケースも多かった。
これらの規定には、隔離によって感染の拡大を防ぐという役割があった。
だが診断と判定は祭司が行い、さらに、患部が癒されたと判断された時は、他の汚れと同様にきよめの儀式を要するといった、より宗教的側面が強調されている。
ツァラアトは、その特徴から伝統的にらい病(ハンセン病)と解釈され、らい病(ハンセン病)患者への差別を助長したこともあった。
しかし聖書のツァラアトは、人の皮膚に現れるだけでなく、家の壁や衣服にも見られる現象であり、これを特定の病名に結び付けることはできないとするのが今日の見方である。
ひとたび人がツァラアトであると診断されると、彼は衣服を裂き、頭髪を乱し、口ひげをおおって(これらの行動は悲しみを表す)、汚れている、汚れていると叫ばなければならなかった(13章45節)。
彼は宿営の外に住み、神の民との霊的な交わりをも絶たれた。
それ故、ツァラアトからの解放は、ただ病気が治ること以上の意味を持っていた。
入念なきよめの儀式を経て彼は、再び家族と共に住み、神の民の共同体の一員としての立場を回復する。
それはあたかも、罪の中に死んでいた者が、イエス・キリストの贖いによっていのちを得、神との関係を回復されたのと似ている。
ツァラアトが癒され、きよいと宣言されることは、どれ程その人に感銘を与えたことだろう。
私たちの罪が赦され、神の御前にきよいと宣言されることも、また同様なのである。