金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール961

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御言葉メール961

2019年1月5日(記:斉藤文子)

「主よ、いつまでですか」
「わが主よ。いつまで眺めておられるのですか。私のたましいを彼らの略奪から、私のただ一つのものを 若い獅子から奪い返してください。」(詩篇35篇17節)

この詩篇35篇は、34篇とペアーとして見るととても興味深いです。34篇で救出された喜びの讃美は、必ずしも迅速で、痛みを伴わないで出て来たものではないのです。むしろ、神が良しとされるならば、苦しいほどの遅延にさらされることもあります。苦しみや不安ほど私たちに時間の長さを思わせるものはありません。それでもダビデは救いの日がくることを信じたのです。ここにある祈りは、助けを求める一つ一つの嘆願となっていて、救出の時を望み見ているのです。‎

しかし、その苦しみ、悲しみ、不安、困難が自分がもたらした結果であるならば、それは仕方のない、自業自得と言えたかもしれません。しかし、この時のダビデは、‎35:7 ゆえもなく彼らは隠しました。網を張った穴を 私のために。ゆえもなくそれを掘りました。私のたましいのために。と訴えたのです。この「ゆえもなく」が、ここで二度、そして19節でも繰り返され、ダビデの痛みの真髄に触れます。その痛みは更に語られて行きます。詩篇を読むと、不正がもたらす傷に特に敏感になっている様子がうかがえます。そして福音こそが、その傷を覆われるべき状況、キリストの十字架への痛みに目を向かわせるのです。そして私たちにどんなにつらく、悲しい、苦しみも意味の無いものはない事、意味のない人生などないことを示してくれるのです。今年一年がどの様な一年であっても、決してなければよかった、無意味な一年であったということはない事を覚えて一生懸命に生きる一年であってほしいと願うのです。

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