金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール974

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御言葉メール974

2019年4月13日(記9:辻嵐桂子)

大祭司はみな、ささげ物といけにえを献げるために任命されています。したがって、この大祭司も何か献げる物を持っていなければなりません。(ヘブル人への手紙8章3節)

旧約の律法に定められた大祭司の諸機能は、今や私たちの大祭司イエス・キリストに移行された。
この書簡では、キリストの祭司職の優位性があらゆる面から論じられているが、ここでは、私たちの大祭司もまた、献げ物を携える必要があると述べている。

著者は既に7章27節で、その献げ物がイエス・キリストご自身であることを明らかにしている。
それは、律法の動物犠牲とは異なり、ただ一度で完全な贖いを成し遂げるものであった。
私たちの救い主が、何故十字架にかけられたのか、その答えがここにある。

そもそも人類が堕落したその時から、神は罪に対しては死を要求された(創世記2章17節、ローマ人への手紙6章23節参照)。
それは肉体の死のみならず、すべての恩寵の源である神から断絶し、永遠に刑罰を受け続けることを意味していた。
人が罪赦され、再び神と生きるために、神が定められたのが、贖罪のいけにえであった。だが動物犠牲は不完全で、一時的なものであった。
罪のない、全き人となられた神の御子だけが、完全な贖いとなり得たのである。

キリストの受けられた十字架刑は、実に惨たらしいものである。
だがそこにかけられるべきは私たちであった。
その罪の重大さを覚えるとともに、御子をもお与え下さった、神の愛の偉大さを思うのである。

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