金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール993

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御言葉メール993

2019年9月14日(記:斎藤文子)

「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。』」ヨハネ9の3

当時のイスラエルでは肉体的な病気、障がいは罪の報いであると考えられていました。イエス様の弟子は、生まれつきの盲人を前にして、この人は誰の罪の報いを受けて目がみえないのか、本人の罪か親の罪か、とイエスに質問します。

日本でも同じ様に、自分の力ではどうしようもない事柄には、たたりとか因縁、罰などと考えてしまいやすいです。結局、そういう考え方をするために、病や障がいを負った人は、二重の苦しみを負いながら生きていくことになります。

そういう苦しみを考える事もなく、イエスの弟子はただ自分達の宗教的関心だけでイエスに尋ねるのです。その弟子へのイエスの答えが冒頭の言葉です。イエスは言われる。だれの罪でもない。神のわざがあらわれるためだと。そしてイエスは、その盲人の目をいやされた。

これは勿論、神が御自分のわざを現わすために、わざわざこの男を盲人に生まれさせたという意味ではありません。盲人に生まれついたのは、だれかの罪のせいではない、と言うのです。しかし神は人間的な不幸、苦しみを、弟子の様に議論の対象にしたりしないで哀れんでくださる。人間は、人の苦しみや不幸の原因を考えてむしろ裁いてしまうこともあります。しかし、人の不幸、辛さをよくご存じの神は、その苦しみをそのままにしないで、神の栄光の現われる時としてくださる方なのです。

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