御言葉メール1022
2020年4月18日(記:辻嵐桂子)
身分の低い兄弟は、自分が高められることを誇りとしなさい。(ヤコブの手紙1章9節)
貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。(ヤコブの手紙1章9節異訳)
ヤコブの手紙は、迫害のために離散したユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれたものだと言われている。
彼らの多くは、信仰故に財産や、その地位までも失い、この世にあっては蔑まれた。
だがここで言う高い身分とは、いわゆる高き所(ルカ24:49)、キリストが上り、聖霊がそこから下られた、天の領域を表す時に用いられる言葉である。
クリスチャンは信仰によってその天の御国の民とされ(ビリビ3:20)、やがてキリストがそこから来られ、死すべき卑しいからだを、不滅の栄光のからだに変えてくださるのを待ち望んでいるのである(同3:21)。
ヤコブはこのあと、富んでいる者もへりくだらなければ、この世の地位も富もすべて過ぎ去るもので、人生の確かな土台とはなり得ないことを語る(10-11節)。
それは、神のさばきの御前では、何の役にも立たないのである。
私たちは何を頼みとし、何を誇りとしているのだろうか?