御言葉メール1036
2020年7月25日
第九の月であったので、王は冬の家の座に着いていた。彼の前には暖炉の火が燃えていた。ユディが三、四段読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては暖炉の火に投げ入れ、ついに、巻物をすべての暖炉の火で焼き尽くした。(エレミヤ書36章22-23節)
情景が目に浮かぶような一節である。淡々と記されているが、恐ろしいことが行われている。王が切り刻み暖炉にくべたのは、神の御言葉を記した巻物であった。
紀元前605年、ユダ王国は敵国バビロニアの侵攻により滅亡の危機に瀕していた。時の王はエホヤキム、彼の父ヨシヤ王は、かの宗教改革で名高い偉大な王であった。
ヨシヤ王は、神の御言葉を聞いて自らの衣を引き裂いき、国をあげて神に立ち返ったのだ(第二列王記22-23章参照)。
しかし、エホヤキムの行動は、それとは真逆であった。
歴代誌の著者が繰り返し述べたように、確かにユダは滅びに向かっていた。彼らが神に背き、偶像礼拝を持ち込んだからである。
神ははじめから再三警告を与えていた。そして、王国が滅ぶに至るまで、預言者をとおし、民が悔い改めて立ち返るようにと、御言葉を与え続けたのである。
記された神の御言葉は聖書となって、今日私たちの手元にある。
人間の罪によって堕落した世界は、様々な災厄に見舞われ、最後には神によってさばかれる。神のご計画が大きく変更されることはないのだろう。
それでも神は、御子イエス・キリストを私たちの代わりに十字架につけて救いの道を用意し、宣教を通して神に立ち返るようにと、人類に御言葉を与えておられる。
この神の御言葉に対して、我々はどういう態度を示すのだろうか?