御言葉メール1051
2020年11月8日
「また、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたからです。」
第1コリント11の9
21世紀の現在に生きる私達は、男女平等は、現実にそうなっているかどうかは別にしても、あたり前の時代に生きています。このような時代に生きる私達に上記の言葉は、まさに男尊女卑としてしか聞こえないかもしれません。
1世紀のコリント(ギリシア)における教会において、女性はかぶり物をかぶって礼拝していました。このかぶり物をめぐって、パウロは神の人間創造の秩序から、男女の関係について説いていくのです。
それは、男は神の栄光を現し女は男のために造られ、男の栄光を現す者だというのです。男は神の栄光を現して神に仕えるために造られ、女はその男を助けて、男を神に仕えさせることによって、自分自身も神に仕える。
神の創造において、男と女の使命は全く違うけれども、それは優劣でも差でもなく、区別なのです。私達が神によって造られた事を知るとき、その神の前には男女関係なく一人の人間として立つのです。同じパウロは、キリストにつくものは、奴隷も自由人もなく、男も女もない、と神の前に人の差別がない事を宣言します。
現代において、信仰をもって男として女として生きる時の現われは、一人一人違います。その多様性はみことばにより、一人一人が吟味していくものではないでしょうか。