変わらない神

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1、神の不変性

 時代というものは、移り変わります。社会の仕組みも、言葉も変わっていきます。それでは、聖書や真理も時代に合わせて変わらなければいけないのでしょうか。逆に、変化していく時代に、神は、御言葉は、無力なのでしょうか。
 また、私たち自身、変わりゆく者です。容姿も、感情も、心も、思想も、動機も変化します。それでは、クリスチャンであるということは、どういうことなのでしょうか。私たちや、時代が変化すれば、救いも変化するのでしょうか。あるいは、私たちが罪を犯してしまったり、失敗してしまったりしたら、私たちに対する神の御心は変わるのでしょうか。私たちが変わってしまったときに、それでもクリスチャンと言えるのでしょうか。
 これらのことと関係するのが、神の不変性です。聖書は、「主であるわたしは変わることがない」(マラキ3:6)と言います。聖書の教える神は、決して変わることのないお方です。そのことが、何を意味するのか、意味しないのか、また、私たちの信仰と、どう関係あるのかを学んでいきます。

2、神は不変であるからこそ帰り場である

 前掲のマラキ3:6には、前後の流れがあります。5節には、「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく」とあります。マラキ書によると、この手紙を宛てられたユダヤ人たちは、よい捧げ物をしても、悪い捧げ物をしても変わりないと考えていたようです。また、悪いことをしても神は裁かれないので、罪を犯しても、犯さなくても、変わりはないと考えていたようです。この彼らに、「主であるわたしは、変わることがない」と語られたのです。それは神が、罪に対してはどんな罪であっても「ためらうことなく証人となり」、さばくお方であるということです。マラキ書は、紀元前400年ぐらいに書かれたと言われます。神の奇跡的なご介入がなくなっていく時代です。バビロン捕囚から帰還し、廃墟となっていた神殿も建て直され、長らく異教の地に住んでいたのが、先祖の地に帰り、人の目を気にすることなく、神殿で礼拝をすることができるようになった時代です。捕囚となっていた時代の民は、神が裁きの神であるという事実を否応なしに思い知らされました。異教や、他国の力に依り頼み、神の戒めから遠く離れてしまった自分たちに対する、神の裁きの預言が成就して、今祖国を遠く離れた異教の地にいるという現実が目の前にあったからです。ところが、捕囚の状態から回復されてしばらく後になると、そのことが忘れられていくのです。目の前に顕著なさばきは見られない―それは、捕囚前も同じであったのですが―、そのような時代にあっても、神は変わられない。つまり、今目に見えるさばきがなくとも、神は罪をさばくお方であるということに、変わりはないのだと告げたのです。
 その彼らに、「わたしは変わることがない。」という言葉に続けて、「あなたがたは、滅ぼし尽くされない」とも語られます。これは、神の憐れみ、慈しみ、寛容は変わらないことを示します。悔い改める者に対して憐れみ深い神のご性質は、旧約・新約を通して、聖書の中で一貫しております。そして、もう一つは神の御約束が変わらないゆえでもあります神は、アブラハム、イサク、ヤコブに対して、その子孫を祝福する約束をされました。その約束が変わらない故に、たとえ罪を犯して堕落してしまったとしても、その約束のゆえに滅ぼし尽くさず、残りの者を残されるのです。また、その憐れみのゆえに、このマラキ書を通して、堕落した民に招きがされているのです。
 そして、「わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう」と語られます。私たち人間は変わります。罪を犯し、神から離れます。しかし、人間はどうしても自分中心の視点からしか考えられないので、自分の状況にまわりを合わせようとしてしまいます。そのために、神を自分の都合の良い神観に変えてしまったり、あるいは逆に、神は変わらないのに、時には優しく、時には恐ろしい方に見えたりしてしまいます。それは、神が変わられたのではなく、自分が変わるゆえです。しかし、神は変わらないお方であるゆえに、私たちはそこに帰ることが許されるなら、救いがあります。また、帰ろうとする者を哀れんでくださることに変わりがないゆえに、私たちは安心して帰る事ができます。ここに、キリスト者の平安があります。

3、神はお心を変えられるお方だろうか

 聖書には、神が滅びの宣告をされながら、その宣告を取りやめる箇所がいくつもあります。神が民を滅ぼされようとしているときに、モーセが執り成しの祈りを捧げ、それをとどめたこと(出エジ32:9~14)、ヒゼキヤが死を宣告されながら、そのいのちに15年を加えられたこと(イザ38:1~6)、ニネベに裁きの宣告をされながら、ニネベの民が悔い改めたときに、裁きを取りやめられたこと(ヨナ3:4,10)などがあります。これらの例は、神がお心を変えられたように、あるいはご計画を変更されたように見えます。しかし、変わらないことがあります。それは、悔い改める者に憐れみ深い神のご性質であります。彼らが悔い改めなければ、滅ぼされたことは事実であります。また、神が彼らに宣告されたのは、警告であり、悔い改めさせるためです。人を悔い改めに導く、神の目的は変わることがありません。
 神の不変性の誤解は、神が行動されるお方であるということを見失う点にあります。神は、ご計画を実行されるお方であり、行動されるお方であります。神の不変性は、その目的と、ご計画において不変であるのであって、神が行動されないことを意味しません。神は、行動されるがゆえに、状況や、その時点でのお取り扱いには変化があるように見えます。しかし、神の長期的な、あるいは最終的なお取り扱いには、変わることがありません。変わるのは、人間であり、被造物です。私たちが変わるが故に、それに対する具体的なお取り扱いにも変化があります。しかし、神ご自身は変わることがありません。神は、目的において、属性において、本性において変わることのないお方です。

4、神が変わらないならば人の存在意義はどこにあるのか

 ある人たちは、私たちの行動によって神が変化するからこそ、人間には存在意義があると言います。つまり、よい行いをすれば、神に益を与え、神が喜ばれる。また悪い行いをすれば、神に損害を与え、神を悲しませる。もし、神が変化しないのであれば、人がどんな行いをしても、神には何の影響もないのだから、人の存在意義はなくなるというものです。それは、御言葉と、神の御心に対する、根本的な誤解から生じます。人は、神がご自分の栄光のために造られたからこそ、存在意義があります。また、神が私たちの存在に重要性をお認めになるときに、私たちは存在意義があるのです。神は、自存するお方であるので、成長する必要も、何かを加えられる必要もないお方です。ですから、人間が神に益をもたらすことは、できません。それでもなお、人をご自身の栄光のために造られ、土の器に過ぎない私たちを、イエス・キリストの贖いの故に尊く見てくださり、私たちをお用いになってご自分の栄光を現し、その私たちを喜んでくださるのです。この真理に、変わることはありません。神が不変であるからこそ、私たちの存在意義も変わらないのです。

5、神が変わらないということはゴールが変わらないということ

 神は、変わらないお方であるのは、神が完全なお方であるからです。知識においても、能力においても、正しさにおいても、あらゆる面で付け加えられる必要も、成長する必要もありません。逆に言えば、人間は変わりゆく存在であり、不完全であるので、成長する必要があります。成長には良い成長も、悪い成長もありますが、完全な目標に向かえば、正しく成長します。神が不変であるということは、ゴールが定まっているということです(ピリ2:9~14)。それは、キリストに似る事である(エペ4:13等)と聖書は、教えます。もし、人がその方向に向いて、成長していくならば、そこに間違いはありません。また、時代の変化によって、その成長が無駄になることもありません。ゴールが定まっているということは、人生が空しくならないということに繋がります。神が不変であるということは、人間が成長する望みです。

6、神の不変性は土台である

 あらゆるものは、移り変わっていきます。国や経済も、栄枯盛衰があります。移り変わりゆくものに、信頼するなら、それらと運命をともにします。つまり、頼っている国や経済、人間が栄えれば栄えますし、それらが滅びれば、ともに滅びます。しかし、神は完全さにおいて、そのご栄光、御力、ご存在において不変です。この神に信頼している者は、たとえ他のものが移り変わり、衰退し、滅びたとしても、その基盤は揺るぎません。キリスト者のたましいと救いを変わることなく守ってくださいます(Ⅱテモ1:10~12等)。

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