愛なる神

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1、神の愛

 聖書は、「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)と教えます。今の世の中で愛は非常に親しみやすい言葉であります。神が愛であることは、これは神の素晴らしさを表す大切な事柄の一つですし、聖書の重要なメッセージの一つでもあります。しかし、その愛は私たち人間が考えるような愛とはかけはなれたものであることも、また事実であります。私たちの知っている愛から、神の愛を予測することは不可能です。聖書は「…愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです」(Ⅰヨハネ4:7~8)と教えます。ここに神の愛とは、神のご性質そのものであることが、はっきりと明言されています。つまり、聖書の教える神を知ることと、愛を知ること、愛を持っていることは、まったく一つのことだと教えています。ですから、聖書の神を知ることなく、聖書の神の愛を知ることはできないのです。

2、神のご性質としての愛

 神の愛が、神のご性質であるとは、どのような意味でしょうか。それは、神の愛は、神の他のご性質と矛盾せず、むしろ他のご性質を反映したものであると言うことです。神の愛は、聖であり、義であり、あわれみに満ちた愛です。また、神の愛は無限であり、永遠であり、場所に束縛されず、変わることがありません。そして、父なる神、子なる神、聖霊なる神は、相互に神の完全な愛で結ばれている関係でもあります。
 これは、どういった意味を持っているのでしょうか。まず、神の愛は、人間を条件としません。神は、愛の対象の為に人間を造る必要があったのではありません。イエス・キリストは父なる神に「あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです」と祈られました。ここに、父なる神と、子なる神キリストの間には、人が存在する前から愛があったことが明言されています。ですから、三位一体の神は、愛する対象においても、愛されることにおいても完全であり、何の不自由も持っておられません。ですから、神が人間に愛される必要はありませんし、人間が神に愛してもらえるような何かを提示することは、まったくできないということです。
申命記7:7~8には、次のように書かれています。
主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。
 これは、神がイスラエルを選ばれた理由は、国力ではなくて、神ご自身が愛されたからだと言われています。ここには、神の愛が、人に神に愛される条件があるから愛するものではなくて、神の側に愛する意志があるから愛するのだということが教えられています。神が人を愛されるか、愛されないかは、神の意志によるのです。人間は、自分の心が惹かれるものを愛します。ですから、移り変わりやすく、賄賂によって曲げられ、非常に信頼のおけないものでしかありません。しかし、神が一度愛されるならば、それは条件によらないのですから、神の愛を左右するものは何も存在しません。また、人の愛は、偏ります。ある人に人気が集まったり、奪い合ったりします。しかし、神の愛は、ある人が自分に惹きつけることも出来なければ、占有することもできません。逆に神が愛されるならば、時間や、場所に左右されることはありません。
 神は、イスラエルに預言者エレミヤを通して『主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた…」』(エレミヤ31:3)と語られました。これは、エルサレムが異教の神々や、外国に力に依り頼んで、神の遣わされた預言者の声にも耳を傾けなかった時代、そして、その裁きとして、すでに多くの民がバビロンの捕囚となっていった時代に語られたお言葉です。永遠の愛というのは、生まれる前、つまり善も悪も行う前からです。そして、神のお言葉に従い、神をほめたたえた時代もそうであれば、神に反抗しているときもそうです。そして、その罪のために裁きを受けている間も、なお変わらないと言われます。それは、人間にとって常に優しい態度をとられることではないことも、この箇所は教えています。しかし、それでも変わらないのが神の愛なのです。

3、ねたむ愛

 神の愛の特徴として「ねたみ」を挙げることが出来ます。神ご自身が、ご自分を「ねたむ神」だと言っておられます(出エジプト20:5、34:14)。聖書において神の愛は、人間の婚姻関係になぞらえられています。結婚は、「選ぶ」愛であり、「契約」を結ぶ愛であり、その契約に「忠実」を求める愛であります。そして、その関係を慕うが故にあらわれる性質が「ねたみ」です。これは人の罪であるねたみとは違います。罪であるねたみは、自分のものでないものを欲しがるねたみです。しかし、婚姻関係についてのねたみは、自分のものに対する情熱の現れであり、契約と忠誠への執着の現れです。そして、神のねたみは、焼き尽くす火と言われているほど激しいものです(申命記4:24)出エジプト20:5では、ねたむ神であるから、他の神を拝んだり、仕えたりしてはならないと言われています。そして、それほど愛される神であるが故に、背きの罪に対して激しく怒られるのです(ヨシュア記24:19)。
 また、神は三位一体の神をねたむほど慕っておられます。そして、クリスチャンにその三位一体の神であるご聖霊を住まわせてくださるのです(ヤコブ4:5)。そして、クリスチャンは、イエス・キリストがいのちを捨てて買い取られた人です。父なる神が、子なる神、ご聖霊をねたむほど愛しておられる愛は、キリストの身代わりによって買い取られ、ご聖霊を住まわせられたクリスチャンに注がれるのです(ローマ5:5)。

4、ご自分の性質にあずからせる愛

 神が私たち人間に愛を注がれるとき、それは私たちを罪の滅びから免れさせ、ご自分の尊いご性質にあずからせるためであると聖書は教えます(Ⅱペテロ1:4)。つまり、神の聖、神の義、神のいのち、神の愛にあずからせるためです。それは、懲らしめられるという特徴も持ちます。そして、懲らしめられる事こそ、子として扱ってくださることの証しだとも言われます。
  そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
ヘブル12:5~7
 そして、もし懲らしめられないなら、むしろ私生児であると言います(12:8)
 ここまでは、人間の親子関係になぞらえられていますが、人間の親は「短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめる」ともあり、人間の親の愛とも対比されています(12:10)。短い期間というのは、一つは成人するまでの限られた期間であり、もう一つは、この地上のいのちは限られているからです。そして、「良いと思うまま」、というのは、人間の父親は完全ではないからです。「良いと思う」ことが、いつも本当に良いとは限りませんし、「良いと思う」ことがころころ変わったりします。しかし、神はいつも最善をもって導かれます。神があずからせようとしておられるのは、人間のではなく神のご性質です。そして、それは変わることがありませんし、どんな人間が持つものよりも、はるかに優れたものです。そして、神は永遠の父です(イザヤ9:6)。
 そして、やがてキリストの再臨の時に、キリストに似たものとされ、罪の滅びと、性質を免れ、神のご性質に豊かにあずかる約束がされています(Ⅰヨハネ3:2~3)。

5、神の愛はキリストの贖いによって知る

 では、この神の愛はどのようにして知ることが出るのでしょうか。Ⅰヨハネ3:16は、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです」と教えています。イエス・キリストが私たちの罪のために犠牲となられたことを知り、受け入れて、初めて神の愛がわかるのです。キリストの十字架には、私たちの罪がいかに恐ろしく重いものかということと、そのためには、罪なきひとり子をも身代わりとしてくださるという愛の深さが、またそれが、この私のためであるということが、豊かに現されているからです。これを受け入れる人は、神の愛を自分に対して注がれたものとして受け入れ、体験するからです。これ以外に神の愛を知る道は、聖書には書かれていません。
 また、これは一方的な愛でもあります。誰も、自分から神を愛した者はいないとあります(Ⅰヨハネ4:10)。この神の愛に対して誇ることの出来る人は一人もいないのです。そして、ねたむほど慕う神の永遠の愛は、どんな被造物も決して引き離すことのできないものなのです(ローマ8:35~39)。

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