金沢聖書バプテスト教会

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キリストの心を心とする 2

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キリストの心をこころとする 2








 私たちが神を礼拝するのは、この神だけが人間の礼拝を受けるにふさわしい方だからです。この神は、今も生きておられる神です。そしてこの神は、他と比べることのできないお方、聖なる方です。このお方は、創造主にして、唯一の贖い主です。この方は、三位一体の神であられるゆえに、御霊を通して、私たちを神の御前に出させてくださいます(ロマ八章十五節)。ですから、私たちが礼拝のために集えるのは、許された故で、私たちに与えられた最高の祝福なのです。



 従って、私たちが礼拝を献げるのは、自らが慰められる為ではありません。また自分が癒され、平安を得ることが目的ではないことを理解する必要があります。私たちが礼拝を献げるのは、神が主なる神であるがゆえにするのです。



 また私たちが、礼拝できる事に喜びと平安・慰めを覚えないとき、神が悪いとするのでしょうか。そうではありません。神を礼拝できる事に最高の価値を覚えない、私たちの誤った利己的な幸福感、価値観という人間中心の思いが問題なのです。イエスは、私たちの誤った幸福感について(ルカ六章二〇〜二六)教えます。



 1、「富んでいるあなたがたは、哀れな者です」。「富んでいる」という事は、一般に幸福とされています。しかし、「富んでいる」為に神からの慰め(神の国に入ること)を求めないならば、神の国に入ることがでず「哀れな者」なのです。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」(十八章二一〜二六)とイエスがが言われたくらいに難しいのです。何故なら富める者は、「慰めを、すでに受けているから(領収済み)」です。「領収済み」の時に契約は終わり、神との関係も切られている状態なので、哀れむべき者なのです。



 2、「いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です」。「食べ飽きている」と眠くなり、精神が弛緩するのは世の常です。それで、魂の糧である「いのちのパン」としてのキリストに対する必要を感じなくなるので、彼は哀れです(ヨハネ六章三五)。



 3、「笑っている(ゲラゲラ笑う)」大爆笑は、平常心のバランスの崩れた時に起こります。その平常心の破局は、たちまち不安に陥れる危機的精神状態を引き起こします。「悲しみ泣く」とは、空しさを知るしかないというイエスの人間理解です。



 4、最大の哀れは、「みなの人にほめられるとき」です。「人」の称讃を気にして、平安でもないのに「平安、平安」と叫ぶ人気取りの「偽預言者」に成り下がっているからです。人に受け入れられる事ばかりを考えて、神に聞かなくなるからです。



 主は、これをほかでもない「あなたがた」であるクリスチャンに語られました。つまり、「主よ、主よ」と口先だけで呼ぶ偽信者、「平安、平安」と語る偽預言者になっていないかを、クリスチャンに自己吟味させたのです。クリスチャンの自己満足と現状肯定の(この世の価値観に支配されている)姿を指摘しています。

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみ じめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」 (黙示三章十七)

 

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