キリストの心を心とする 1

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キリストの心をこころとする1









 クリスチャンにとって一番大切なことは、神さまに心が向いている事です。礼拝とは、「拝む事」と礼拝論で学びました。神さまだけが最高に価値あるお方、大切にするべきお方として認める行為だといえます。ですから私たちが、神さまに心を向るのに妨げとなること全てが、キリスト者として相応しくないものです。たとえそれが自分の生活や、気分を良くするものと思われるてもです。逆に、私たちの心を神に向かわせ、神にのみに期待と信頼を向けざるをえなくするものであるならば、全てがよい事なのです。その為に、私たちの心を苦しめたり、悲しい結果を招く事であってもです。それが、私たちの心を神さまに向かわせるきっかけであったり、動機となるならば、決して惨めで、不幸な状態にいる哀れな者とは言わないのです。それが、ルカ福音書六章二〇〜二六節にある「幸い」と「哀れな者」についてのイエスの教えです。



 更にイエスは、クリスチャンの対社会的との関係について教えます。クリスチャンたちの愛の実践についてです。その業とは、①「敵を愛」する事と「憎む者に善を行な」(二七節)う事。②「のろう者を祝福し」「侮辱する者のために祈り」る事(二八節)。 ③どんな理不尽な事であっても受け入れる事(二九節)。 ④「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのように」(三一節)する事。 何故なら「自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしてい」るからです(三三節)。つまり、愛の行為とは、物々交換か、その場限りの一時しのぎ的行為ではないのです。私たちの姿勢は、「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。」(三六節)にまとめられます。



 イエスが言われた「あなたがたに何の良いところがあるでしょう」(三二、三三、三四)とは、「あなたがたにどんな神さまからの恵みがあるだろうか」という意味です。私たちは、本当に神さまからの「よい恵み」を頂くための働きをしたいものです。ですから、私たちが心に留めなければならなことは、人には恵みを施すだけで、人からの見返りを期待しない愛の業についてです。私たちが、この地上で既に恵みを受け(満足し)てしまわない為です。イエスは、「あなたがたの受ける報いはすばらし」い、と言われました。私たちが、このいと高きお方から受ける報いとは、「いと高き方の子どもにな」るというものです。無論、既に神の子です。ここで言われている「いと高き方の子どもになれ」るとは、神と似た性質の者になれるということです。「あわれみ深くしなさい」との勧めを実行することにおいて、憐み深い天の父に似る者とされるという報いです。神の証人とされるという報いのなのです。



 しかし、「私には無理」という心の声がします。私たちには、本当に無理なのでしょうか。私たちは、どれだけ人から受ける恵み(人の称讃、富、名声、快適な暮し・等)を手にして、神さまからの価値ある恵みを失って来たでしょうか。聖書の中には、神さまの恵みを軽くみた為に、悲惨な状態に陥った哀れな人たちがいます。例えば、一杯の食べ物と神の祝福を交換したエソウ、銀三〇シケルでイエスを裏切ったユダ等です。彼らは、罪の報酬は、死と呪いであると知りながら、世が与える一時的な恵みを愛して、滅びと裁きをその身に招

いたのでした。しかし、逆にこの世において、全く割りの会わない愛の犠牲を払われた方を知っております。その方は、罪人の身代わりとなって死なれて、復活後多くの実を結ばれたのです。そして彼は、最高の栄光を受けたのです(ピリピ二章九,十節)。

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