絶望の先に望みをおく

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絶望の先に望みを置く










 会堂管理者ヤイロは、十二歳位の一人娘が死にかけていたのでイエスに助けを求めました。この訴えは、残念ながら一人の十二年間も長血をわずらっていた女性によって妨げられました。イエスが、この女性に手間取っておられる間に、彼の家から来た人が、「お嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません」と報告されました。そこには、「絶望」の二文字があるだけです。後は泣き悲しむほかありません。そのような状態で尚、望むのは決して尋常なことではないでしょう。しかし主は、私たちに信仰を求められたのです。



 イエスにとっては、ヤイロの娘も、この女性も同じ愛する人でした。そこに異いはないのです。そこに大切な人、中くらいの人、まあまあ大切な人、あまり大切でない人、という区別はないのです。信仰によって近づく事こそ大切なのです。



 イエスは、この会堂管理者ヤイロにも、この女性にも「信仰」を求められました。長血をわずらっている女性に対してイエスが喜んでおられる事は、この女性が信仰を持って触ったことです。イエスは言われました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」と。またヤイロに対して求められたのは、「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」でした。共に信仰です。イエスを信じる信仰とは、驚くべき事に死さえもが、万事の終わりではないということです。信仰は、絶望の先にある神を尋ね求めさせるのことなのです。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(ヨハネ十一章四節)繰り返しますが、恐れないで、ただ信じない、との主のお言葉が私たちに迫るのです。



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