金沢聖書バプテスト教会

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御霊の実について

御霊の実について 3

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御霊の実について 3







 新約聖書は、「喜び」と言う言葉と心の状態は、救われる人が起こされたときに用いられている場合が多いのです。(ルカ十五章七)「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです」と言っております。またパウロは、(ピリピ二章十七節「たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」)と言って、神の栄光を見ることを喜ぶのです。従って、聖書に表されている「喜び」の状態とは、たとえこの世において人が求めるもの全てを手にしたとしても、それを「喜び」とは言わないし、「喜ぶ」とは言わないのです。



 また、パウロは、御霊の実である「喜び」は、ロマ書十四章十七節において、「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和(=平安)と聖霊による喜びだからです」と語り、御霊の実としての喜びが「義」と「平和=(平安)」とが深い関係にあることを述べております。



 本来クリスチャンは、「義」とは何かを知っている者たちのことでもあります。また「義」にかなう生き方をすべきであるということをわきまえている者たちでもあります。そこでクリスチャンの現実の問題は、よい事に賛成しつつ、悪い事をしてしまう事です。そこに傷みがあり、苦しみがあります(しかし最近はそのような傷みや苦しみを感じる事さえ愚かな事、取るに足りないこととする風潮があります)。しかし、御霊をその心のうちに宿しているクリスチャンは、諦め、居直ってはならないのです。クリスチャンには、新しい力が与えられている事を思い出して欲しいのです。その力とは、「義」なる生活をさせてくださるという御霊の働きのことです。自分の力で生きようとしていた間は決して実行できなかった「義」ですが、今感謝すべき事に、内なる神の御霊の故に「義」なる生活を祝福に満ちた事実としてくださるのです。この故にパウロは、このロマ書において「平和(=平安)」と聖霊による「喜び」とが関連している事を語るのです。



 一方クリスチャンにとって「平和(=平安)」は、単なる消極的な事ではありません。聖書では「平和(=平安)」であるということが、積極的なこととしてとらえられています。この「平和(=平安)」は、神と敵対関係にあった私たち人間が、和解することができた事を意味しているからです。つまり罪の故の刑罰が、イエス・キリストの贖いの故に赦され、神との平和を持つ事ができたという事です。この地上生活においてクリスチャンと神の間を妨げるものはなにもないのです。誰も神が赦したものを罪に定める事はできないのです。この平和(平安)は、聖霊によるものです。ですからパウロは、「聖霊による喜び」と呼んだのです。聖書には驚くほど「喜び」及びその派生語が頻繁に使われております。確かに、この地上生活だけを見ているならば喜べるような事はあまりないかもしれません。しかし、聖霊なる神が、それを超越して私たちの心の中に、消え去る事のない、深い喜びを与えて下さるのです。

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