たねまき3 エホバの証人から救出されて3

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たねまき Vol.3


エホバの証人から救出されて3






 東京での弟の結婚式が終わって、私は久しぶりのことでもあり、そのまま実家でゆっくりすることにしました。子供たちと一緒に、一週間程度親孝行しておいで、とのことだったので、大喜びで主人と主人の両親とを見送ったのです。ところが、一週間経っても、十日過ぎても、「金沢に帰っておいで」との連絡がありません。主人とは時々電話で話をしていましたが、まだ帰ってこなくてもいいよ、と言うだけでした。二週間ぐらい経つと、実家の両親が心配し始め、「エホバの証人をやめないと、きっと離婚だよ。」と私に迫るので、のんびりできるはずの実家でも、また「エホバ」を守る戦いを始めることになってしまいました。母親はいつも感情的になって「そんな変な宗教はすぐにやめなさい」としか言いませんでしたが、父親は、「ものみの塔」や「目ざめよ」誌の中から、変なところ、聖書に合わないと思われるところをチェックして来て、議論を始めるのです。私は人が変わったように(・・・・といつも両親に言われました)「エホバ」を守る態勢となり、聖書や資料を使って父を説き伏せようとしました。ですから、いつも話し合いは平行線でした。



 それでも、やはり実の父親です。カーッとなって言い合い、「この家に入られない!!」と思っても次の日になれば、「おはようー。」と笑顔で話し、「お父さんもお母さんも、あんたが心配なのよ。」と言ってくれると「うん、わかってる。ありがとう。」と素直になれるのです。さすがに三週間を過ぎると、のんきな私も、「いつ帰してくれるのかな。」と心配になりましたが、それでも両親は心配しすぎだわ、とまだまだ事の重大さに気づいていませんでした。



 また、私が東京でも「エホバの証人」として常に考え、行動できたのは、東京の集会に通っていたからでした。そこには電車に乗ってひと駅ほどのところで、自転車でも通えたので、子どもは置いて、一人で行きました。そこの会衆は、とても活発で、私のようにご主人に反対されながらも頑張っている方や、離婚してしまった方、別居中の方など、金沢では合ったことのないいろいろな状況が見られました。それでもどの人も明るくて、「エホバがいつも支えてくださっているから。」と前向きなのです。私は、もし、まだしばらく帰れなくても、ここでなら一緒にがんばれる、と大いに励まされていました。



 特に、長老ご夫妻は、私たち親子をとても心配してくださり、家が近かったこともあって、何度か食事に招いてくださったり、話を聞いてくださいました。長老婦人は、ほとんど家の中でしか生活できないようなご病気で、ベットで寝たり起きたりという毎日でしたが、「こんな私でも、エホバのために、できることがあるのよ。」とうれしそうに話してくださり、なかなか伝道に出られない私を慰めてもくださいました。そんな会衆でしたので、私は東京で冷静に「エホバの証人」について考えるどころか、ますます強められて「私も一人になっても頑張ろう!!。せめて子どもたちだけでも救われるように。」と思ったりしていました。



 こうして一ヵ月ほどが過ぎて、やっと「帰ってくるように。」との連絡がありました。私が、東京で頭を冷やすどころか、一ヵ月以上も嫁を実家に帰したままにすることは、近所の手前できないということを考えてのことだったようです。問題は何も解決されていないのですから、金沢へ帰ってきてからの毎日は、まさに戦いでした。主人の父がいよいよ我慢できずに、わたしを非難し始めたのです。エホバの証人は世の中で認められていないこと、世間の常識から外れていること、そんな嫁がいると知れたら、家族、親戚が迷惑すること、○○家の嫁としては先祖の墓を守る義務があること、もしこれらができないなら、嫁としてはふさわしくないので、離婚させること・・・・。普通の人が普通に考えることを、父は私に言ってきました。けれども東京で強められていた私には、何の驚きでもなく、反対に神のみ心に反した、人間中心的な考え方だと、軽蔑すらしていました。離婚ということについても、「私は絶対に分かれない、主人もそう思っているに違いない。」という確信があったので、父が何度そういって怒ってきても、私は少しも動揺しませんでした。



 そんなピリピリした日々の中でいよいよ私のバプテスマの日が来ました。私は、バプテスマを受ければ、もしかしたら物事が好転するかもしれないと期待していたので、その日主人も一緒に来てくれたことを、うれしいと感じていました。



エホバの証人は、バプテスマを全浸礼で行います。私は、他のバプテスマ予定者とともに誓いの言葉を述べてから、水着に着替えるために別の部屋へ向かいました。と、通路に主人が現れて、つかつかと私のほうへ来ると、私の腕をつかんで「バプテスマは受けさせない。」と言うのです。私は予想外のことでびっくりして、何とか主人から逃れようとしましたが、主人は私を離しませんでした。パニックになった私は、何が何だか分からないまま、主人とともに別室に連れていかれ、そこで地域監督と呼ばれる方と話をして、主人がこんなに心配して反対しているのだから、今回のバプテスマは見送ること、ご主人は私を心配してのことだから、悪く考えないこと、バプテスマはまた次の機会に受けられることを教えられました。



 このことは、私にはとてもショックでした。でも、不思議と心のどこかでホッとしている部分もありました。今思えば、エホバの証人になりきれなかった「私」の部分が「良かった」と思っていたのだと思います。と言うのもバプテスマの誓いの中で、組織に忠実であることに「ハイ」と返事をする項目があって、やっぱり心の中の「私」が「イヤだなあ」と感じていたからです。エホバの証人としての私は、そんな「私」を一生懸命押し殺そうとしていました。



 けれど、このころから主人は少しずつ私の話に耳を傾けるようになっていました。私は、主人が、バプテスマを止めたことを悪かったと感じているのか、もしかしたらエホバが心に働いて、気持ちをこちらに向けて下さったのかしらとうれしく思っていました。後から分かったことですが、この頃には、実家の父と主人が、私をエホバの証人から救うために、いろいろと動いてくれていたようです。一つは、ずっと以前に主人の友人の知り合いと称して何度かうちに来て下さったウィリアム・ウッド先生との連絡でした。ウッド先生とは、私は結局直接には聖書の話はしませんでしたが、主人が聖書について知りたいから、ということで、二、三度私も横にいてお話をお聞きしました。エホバの証人であることを隠してお会いしているつもりの私は、(本当はすべて分かっておられたのですが)ほとんど何も話さずに、ただウッド先生を観察しながら、それでも「何でこんなに穏やかで神を愛している方がエホバの証人にならないのだろう。」と本気で悩んだりしていました。



 もう一つは、神戸の草刈先生との連絡でした。私を救うには、もう草刈先生のところで保護していただくしかないと決めていた父と主人は、草刈先生からも、ウッド先生からも、「夫婦が良い関係を保って、何でも話ができることがまず大切ですよ。エホバの証人の話しもがまんして、良く聞いてあげなさい。そして夫婦間の愛をもとどおりにしなさい。」と言われたのだそうです。主人は、私が驚くほどやさしくなり、エホバの証人の話しもいやな顔をせずに聞いてくれるようになりました。更に、私と聖書研究もやるようになったのです。主人とは何度か研究をやりかけていましたが、続かず、「忙しいし無理かなあ。」とあきらめかけていたのですが、この時は違いました。いくら夜遅くなっても必ず本を開いて、少しでもやろうとしてくれました。一方、実家の父も、私に手紙で証言することを許してくれ、私は月に何度か、エホバの証人の教義を、両親宛てに出すことが出来るようになりました。



 こうして、春の大会でバプテスマを受けられなかったものの、主人とはむしろ仲直りができた感じがして、私は「エホバが助けて下さった。」と久しぶりに幸せな気持ちでした。そして、いよいよ、夏の大会で、バプテスマを受けることができました。この時は、もう主人は一緒に来ませんでした。ウッド先生から、「好きなようにさせてあげなさい。今の状態ではバプテスマを受けても受けなくても変わりありませんから。」と言われていたのだそうです。私にはすべてがうまく行くように思われました。



 ところが、夏休みになって、また東京の実家へ遊びに行ったときのことです。「しばらく帰って来なくてもいい。」といわれ、再び主人と離されることになりました。私は、主人とはもう仲直りできたし、大丈夫との思いもあって、一週間もすれば、迎えに来てくれるだろうと思っていました。ところが、いくら待っても主人は来てくれませんでした。電話で話してもはっきりせず、私はだんだん不安になっていきました。東京では、また両親と言いあう毎日で(両親もとても不安だったのだろうと思います)私は、集会で他のエホバの証人と会ったり、一緒に食事をしたりすることだけが、楽しみになりました。



 こうして1ヵ月ほどが過ぎて、私が今度はそろそろあきらめて、東京で親子三人で暮らそうかと本気で考え始めた頃、やっと主人が来てくれました。主人は、金沢の主人の両親や姉たちから、いろいろ言われて来たようで、私を守りきれないかもしれないこと。私か家かを取れと言われれば、家を取ること、疲れてしまったことを話してくれました。私は、とても悲しく思いましたが、どこかで、仕方がないと思い、主人と子どものために、エホバの証人であり続けること、主人を心から愛していることを伝えました。主人は、私の父とも話し合い、結局、私を金沢に返してくれました。きっと、後は草刈先生に全てお願いするしかないと考えたのでしょう。それでも、主人は、主人の両親と姉たちに、全て自分に任せてくれるように、私には何も言わないように、と言ってくれたそうです。



 金沢に帰ってからは、東京で悩んでいた日々がうそのように、穏やかな平和な毎日が過ぎていきました。私はすっかり落ち着き、主人とも普通に会話ができるようになり、エホバに感謝していました。そして、秋も近づいた頃、主人が突然、「久しぶりに神戸に遊びに行こうか。」と言い出したのです。それが私のエホバの証人救出計画の始まりでした。





<次号へつづく>

(金沢聖書バプテスト教会員 主婦)

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