たねまき8 証 人にではなくキリストに目を向けて

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たねまき Vol.8


証《人にではなくキリストに目を向けて》






  偶然と言う言葉は何と神の摂理を無視した言い方でしょう。わたしが真の主に導かれるまでの道のりは長いものでしたが、偶然ではなく神のご計画によるものだったと思います。



 私は、父母、弟の4人家族、宗教色のほとんどない家に育ちました。近くにあったカトリックの幼稚園に通いマリヤ像やキリスト生誕の時の像を目にしていましたが、礼拝にはほとんど行きませんでした。その後、公立の小・中学・高校を経てプロテスタントの短大に進みました。高校生の時「塩狩峠」を読んでキリスト教の人に及ぼす影響を感じたものの、自分にも関わる事としてとらえるに至っていなかったので、入学式での讃美歌合唱に抵抗感はありましたが、この時、聖書全体と讃美歌を手にしました。



 保育科の担任は音楽の先生でした。先生は、聖歌隊の顧問でもあり、「メサイヤ」をプロのオーケストラやソリストたちと合唱するという誘いを受けて、気付くとクラブ活動のような気持ちで聖歌隊に入っていました。



 授業でキリスト教教育学があったり、聖書もほんの少しだけ開きましたが、哲学的、心理的な面からの説明であり、聖書についてほとんど分かっていませんでした。



 卒業し就職するにあたり、多くの人が公立、私立の幼稚園へ、中には仏教関係の幼稚園にいく人もありましたが、私は短大と同系列の教会付属幼稚園に就職しました。この時は自分の意志で決めたのですが、求道と言う条件に大層な覚悟で臨んでいました。ところが、初めの覚悟とは裏腹にわずか2年で辞める事になりました。何故なら、心からの求道でなかったゆえに子どもたちに、「五つのパンと二匹の魚」や「ガリラヤ湖を歩いて渡る」おはなしをしながら、自分ではその奇跡が信じられずにいることに苦痛を感じていた事と、教会の牧師にどうしても親しみを持てなかったこと、あるクリスチャンが、裏で人を差別している事などで居づらくなったからでした。もう関わりを持ちたくないと思いました。



 私は、宗教の事を忘れて、「メサイヤ」で知り合った人と結婚をし、富山に来ました。世間知らずの私には日本の中でもカルチャーショックがありましたが、人並みに母となるべくして月満ちて生まれた初めての子は、心臓に奇形があり、生後三ヶ月の命でした。赤ちゃんの世話をするはずだったのに、仏壇の世話をする事になってしまいました。その後は、不安を覚えながらも何とか3人の元気な子どもたちに恵まれ、悲しみも忘れ育児に励んでいました。



 私の中には、子育てで奮闘中に、親族の相次ぐ死、お葬式を何度も経験して「死」とは一体何だろうと言う疑問が膨らんで来ました。雑誌を持ってくる立正佼成会の人、聖書や書物をカバンに重そうに運んで訪問してくる人、僧侶の偽善,ボランティア団体のメンバーの言動不一致、指導者の居ないグループのまとまりのなさ、湾岸戦争の報道、いろいろな事がどういう原因でどうなって行くのか益々わからなくなって、確かな導きとなるものを求めるようになっていました。私は人付き合いの良いほうではなかったので、家の中で家事や趣味をしている事が多かったのです。そのような時、エホバの証人が私の意識の中に入り込んで来ました。「神の名はエホバです!」と、確信を込めて話す人。初めはうっとうしく思っていましたが、何度か会話をしているうちに、言動一致に心がけている真面目な人柄に次第に、魅了されて行きました。彼らは、自分達のグループが、自発的な寄付や奉仕で成り立ち、決して強要しない事を強調されました。地上の楽園と言うのはすぐには信じられませんでした。が、「ヨハネの啓示」は読んでみましたがさっぱり分かりませんでした。聖書には独特の表現があるから導きが必要ですと言われ、それはその通りだと思いました。教会は近くにありませんでしたし、彼らなら、家庭で聖書を教えてくれると言うので、その気軽さから聖書研究に応じました。



 教科書はものみの塔の本で、裏づけの為に聖書が用いられました。「家族生活を幸福にする」を使い、最初は心理学で勉強したこととあまり変わらないと思いましたが、いつもエホバと結び付けていることが気になり、誘導尋問のような質問に嫌悪さえ感じていました。しかし、続けて行くうちに私の神に対する目が開かれたような気がして嬉しくなり、熱心なエホバの証人の研究生となっていきました。



 集会に始めて行ったとき、集まっている人々からとても暖かく歓迎され、穏やかさ、熱心さ、整然とし、時間がきちんと守られるなど世の人とは異なって見え、安心感を覚えました。「自分を愛せない人がどうして他人を愛せますか。」と言う講演の言葉が心に残り、『私はこの道に行こう、そうすれば家族も救われるかもしれない』と思い始めました。



 すぐに反対が起きましたが、それはものみの塔のマインド・コントロールを強めるだけでした。聖書を学ぶと反対が起こるのは、サタンが存在している証拠で、家族がサタンに用いられるのだからこれは真理です、と言う風です。他に「三位一体」について、聖書にはどこにもその言葉は見出せないのに教理として使うことは、間違いであると言うので、本当かどうか確かめたいと通読してみましたが、「三位一体」の文字はなく、やはり真理だと思い込むようになりました。週に一度の研究と、夫不在の時こっそり出かけていた集会により、ものみの塔式思考回路が出来あがり、証人達の正直さ、自発的で熱心で心配りの良く出来るところを見て、神の民はこういう人たちだと思いました。



 子どもたちには、「お母さんはこれが真理だと思う」と言って、ものみの塔式聖書解釈を教え、生活も彼らに倣うような方向付けをしていました。家族からの反対として、その後二度、子どもと離れて生活すると言う試練がありましたが、証人たちの励ましを受けながらその都度、エホバの神が私の祈りに答えて助けてくださったのだと思いました。



 強い反対も緩められ我が家に戻り、集会に行くことも黙認と言う形で出来るようになりました。体調を崩した私に哀れみをかけてくれたからだろうと思っていましたが、その時から主人を中心に私を「ものみの塔」から救出する計画が始まっていたのです。



<次回に続く>

(小杉在住 主婦)


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