御言葉メール902

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御言葉メール902

2017年9月23日(記:辻嵐桂子)

きょうしたことは、あなたがたの贖いをするように主が命じられたとおりである。あなたがたは会見の天幕の入口の所で、七日の間、昼も夜もとどまり、主の戒めを守らなければならない。死なないためである。(レビ記8章34-35節)

レビ記8 章で扱われるのは、祭司の任職の儀式である。これはシナイ山で神がモーセに命じたもので(出エジプト記28-29章)、祭司の装束、注ぎの油、いけにえの動物と種無しパンに関する規定、七日間の任職式など、ことごとくが実行された。
こうして、祭司自身がまず罪の贖いをし、主の会見の天幕(神を礼拝する場所)と祭壇(いけにえをささげる場所)が聖別された。

このような儀式は、キリストの贖いを受けた今日の私たちには無用のものである。だが礼拝する神は同一である。

何らかの命令の後にあなたがたが死なないため(死ぬといけない)と言及される箇所は、律法の書の中だけでざっと数えても20~30はある。そのすべてが神のきよさに関わることである。

人は罪を持ったままで神に近付くことはできない。また、汚れたままで聖なるものに触れれば、その人は死ななければならない。それ故、贖いときよめに関する様々な規定が設けられたのである。

シナイの荒野で、イスラエルの民は神を恐れ、神が直接自分たちに語ることがないようにと、モーセに嘆願した(出エジプト記19章19節参照)。
神の御前に立つことの厳粛さを忘れた昨今、目を止めるべきではないだろうか。

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