金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール936

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御言葉メール936

2018年6月23日(記:辻嵐桂子)

牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。その良い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。(レビ記27章32-33節)

レビ記の最終章では、誓願と十分の一のささげ物についての規定が詳細に扱われている。
誓願のささげ物は、贖罪のいけにえなどとは違い、人が特別な誓願を立てる場合自発的にささげられるものである。
初子や聖絶のものは、自動的に主のものなので、誓願のささげ物とすることは出来なかった(26、28-28節)。

誓願のささげ物と十分の一のささげ物は、場合によって買い戻すことができた。その場合それぞれの評価額にさらに五分の一を足さなければならなかった。
しかし、家畜は10頭に1頭が自動的に主のものとなるので、買い戻すことはできなかった。その10頭に1頭は、所有者の都合で選別されてはならず、もし取り替える場合は、両方の家畜が主に聖別されたものと見なされた(33節)。

これらの規定は、人の気まぐれな礼拝や、軽卒な誓いを最小限にする意図があったと思われる。
神の律法は人の心の頑なさの故に与えられたと主イエスは言われた(マタイの福音書19章8節参照)。

私たちクリスチャンは、神の愛故に感謝から、自発的に奉仕をし献金をささげる。
しかし、時にそれは自分本意なものとなってていないか?
私などは自然に、無自覚に、神よりも自分の都合や生活を優先してしまっていることにはたと気付く。
神は人の弱さをよくご存知で、その上で、ご自分の民を愛し、神を第一とする生き方を明示しておられるのだと思う。

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