御言葉メール299
2007年7月7日
「私たちの齢は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは、労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」(詩篇90の10〉
最近、92歳の主人の父が危篤状態になりました。今は何とか持ちなおして、家での生活を続けていますが、少しづつ、自分の事や家人から言われた事ができなくなっています。
そうすると「おらあ、ダメだなあ」と、自分を責めたり自分の頭を叩いたりします。義母は88歳ですが、少しづつ痴呆状態はでているものの、これから先どうなるかという不安を口にします。多くの苦労を通ってきて人生が終わろうとする時、自分を責めたり、考えると不安がでてくる状態でいるというのは、私の目から見るとなんとも切なく思われます。
詩篇の作者は、人間は生きても70、80年、花のようにしおれて枯れる、といいます。しかし神様は永遠から永遠まで神として存在されている。労苦と災いの人生であっても、永遠なる神によって生かされていると知る時、死んでから始まるいのちがある事を教えられます。地上で罪を赦される神によって、永遠のいのちが与えられる。この希望に両親も支えられる様にと祈っています。
御言葉メール299
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