御言葉メール640
2012年7月14日
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4の4)
先日、友人のご主人が亡くなりました。彼は小さい時、ノルウエーの宣教師から聖書の話を聞き、その中で冒頭の言葉をずっと覚えていたそうです。讃美歌「主我を愛す」がこの上なく好きだった事を聞きました。
やがてこのみことばや讃美は神を信じ、家族そろって洗礼へと導いてくれたのです。喜んでいなさい、と神は私たちに言われる。しかもいつもです。初めから怒りの子として存在し不信と不安の中に、自分の思い通りになった時しか喜べない人間にとって「喜びなさい」という言葉は驚くべき内容ではないでしょうか。喜べない人間に向かって、喜びなさい、と言われる主は、主に在って、と前置きされる。これがないならば、いつも喜ぶ事は不可能です。
しかし主イエスが、私たちを赦し共に居て、神との交わりの中にいつも置いてくださる。喜べない状態の中でも神が与えて下さる恵みを思い出させてくださる。その恵みを喜びなさい、と言ってくださる方がいるのだと教えられるのではないでしょうか。神は友人のご主人にも、このみことばを留めてくださり、それを言ってくださる神を覚える事ができた、幸いな人生を経て、今は天の御国でただ主を喜んでおられます。