御言葉メール653
2012年10月20日
「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。」(ローマ書1の17)
この箇所はローマ書全体の主題ともいえるところで、「信仰による義」がはっきりとうたわれています。私自身の40数年の信仰生活の中で、もっとこの教理を喜び、自分の生活の全てに根付かせていたなら、神様に対する忠誠や人間関係が変わっていただろうと思わずにはおれません。
しかし同時に私には、「信仰による義」のすごさ、大切さが、今の程度わかるためには今までの歳月が必要だったという事も理解しています。信仰を頂いてから今までの歩みは、私の人生のあらゆる失敗と後悔を通して、信仰義認に帰らされた、といっても過言ではないからです。その教理を確認する度に、神に対する信頼がなかったことを教えられながらも、悔い改めと赦しからくる平安に生かされてきました。
「神の義」は神ご自身が正義であると同時に、神が人間を義とされる、という神との正しい関係と交わりの回復を意味しています。私達の思いや状態、どういう人間かに全く関係なく、ただキリストを信頼するというその一点だけで、義しいと認めてくださる。どうぞこの御言葉が、現実に起きる様々な問題に平安と期待を与えるものでありますように。