御言葉メール677
2013年4月13日
「・・・神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」(へブル12の7)
2回にわたって私達は、かつて私を罪人と指定したのが神であったのと同じく、私を義人と指定したのも神である、という事をみてきました。神が私達を義人と宣言された以上、私達の救いは自分や人の思いや行いによって変わる事は決してありません。
しかし或る人は問われるかもしれない。「明日、私が罪を犯したらどうなるのか」と。それでもなお義人です。神様の前における私達の立場が変わる事はありません。それでは義人と見なされて、なお犯す罪はどの様に考えたらよいのでしょうか。キリストにある私達は、今や神の子供であり神の家族です。その立場にあるキリスト者が罪を犯す時には、犯罪人が犯す罪ではなく、子供として犯す過ちであり失敗です。
即ち、神の子供として家族の関係の中で失敗をしたのです。子どもは多く失敗をし間違いを犯しますが、それで親子関係がなくなるという事が無い様に、罪を犯しても、つまらない者であっても、私達は神の子であり義人です。キリスト者が合う全ての事は、子として扱われる父なる神による、と知る時、恐怖ではなく悔い改めと感謝がついてくるのではないでしょうか。