御言葉メール697
2013年9月28日
「主に私は身を避ける。」(詩篇11の1)
日本において福音派のクリスチャンは人口の0.1パーセントだと言われます。カトリック信者を入れても1パーセントにも満たない。そういう国でクリスチャンとして生きる意味を詩篇11篇は考えさせてくれました。イスラエル社会全体が、宗教的にも道徳的にも、その規準を失い荒廃した時の事です。
詩篇の作者は神を信じ、神の基準を大切にし、困難な時に神の宮と思われる所に逃れました。しかし神を信じない者の卑怯な振る舞いが横行する中で、友人は山に逃げる様に勧めます。詩人はきっぱりと拒否します。イスラエル社会の道徳的危機の中であえてそこに留まり、信仰者の良心をもって生きようとします。その決意は、神を自分の逃げ場にしているからこそできたものです。
そうしたからといって何かが変わるわけでもないかもしれない。それは現代に生きる少数派のクリスチャンも同じです。クリスチャンが一人いる事で社会の不正は正されないかもしれない。しかし神を信頼し神のみこころに従って生きたいと願うクリスチャンの存在そのものが、腐敗した社会にとっては一つの灯りなのではないでしょうか。どうか主よ、あなたに身を避け、この国の問題の最中で信仰者として生きていく事ができます様に。