御言葉メール752
2014年11月1日(記:マハー満枝)
「私は外国にいる寄留者だ」「私の父の神は私の助け」(出エジ18:3,4)
出エジプト記18章は、民がエジプトから荒野に出て、さらにシナイ山に進んで行く行程で、挿入句のような章です。しかも、とても興味深い、また教えられる事がたくさん含まれていますが、その中でモーセの息子たちに目を留めてみましょう。
モーセの息子たちについては、この箇所以降、1歴代誌23:15のレビ人のリストに名前が上げられている以外、記述がないと思います。私たちは彼らが実際どんな子どもたちであったか、わかりません。しかしここで、彼らの名前がその意味と共に記されています。ゲルショムは「私は寄留者」、エリエゼルは「私の神は助け手」という意味です。彼らの名前の中に、モーセの信仰と、自分の息子たちに対する願いが表わされているのではないでしょうか。
親は自分の子に願いや期待をもって名前をつけます。親として子どもに教えたい事は山ほどあると思いますが、クリスチャンの親として、本当に子どもに教えるべき事がこの2つの名前の意味に凝縮されていると思うのです。
1)「私は寄留者」...今生きているこの世が全てではない。本当の価値観がそれに って芽生えます。
2)「私の神は助け手」...私を造られた神がおられ、その神が私を愛し、どんな時にも助けて導いてくださる。そのお方を見上げて歩めば何も心配することがない。
私たちの子どもたち(自分の子どもだけでなく、教会の子どもたち、すべての子どもたち)がこの2つの事さえ本当に理解し、それを心に留めて生きるのなら...! 子どもたちのために祈りましょう。