御言葉メール801
2015年10月17日(記:斎藤文子)
「王は言った。・・彼がのろうのは、主が彼に『ダビデをのろえ』と言われたからだ。・・」(第2サムヱル16の10)
私達は思ってもみない苦しみに遭う時、「神は何故こんな事をされたのか」と考え、神に失望したり反抗的になったりします。ダビデは息子アブシャロムの謀反にすばやく対応し、自分の部下と共に宮殿から逃げ出します。
逃亡生活の中でサウル一族のシムイがダビデをのろう。お前は血をもってサウル家を倒し王位を奪った、だから息子に王位を奪われるのだ、と。しかし王位継承の件は誤解で、ダビデは弁明することもできるし、側近の憤りの様にシムイを殺すこともできた。しかしダビデはいずれもしなかった。ダビデは「彼がのろうのは、主が彼にダビデをのろえと言われたからだ」といって、一切の弁解も責任転嫁もしないのです。
アブシャロムの妹タマルを辱めた、王子アムノン。そのアムノンを殺したアブシャロム。そのアブシャロムを遠ざけた父ダビデ。子供同士の争いにダビデは自分の姦淫、殺人の負い目からか、きっぱりとした態度をとれなかった。今回のアブシャロム謀反の元凶は自分だとダビデは知っていました。神に対して自分が徹底的に罪人だと知る時、どんなことが起きても神のなさる事は義しいと悟らされるのではないでしょうか。
私達が神への不平不満、失望にさいなまされる時、神に対して自分はどの様な者であるか思い出せます様に。