御言葉メール819
2016年2月20日(記:斎藤文子)
「主は仰せられた。『外に出て、山の上で主の前に立て。』」(第1列王記19の11)
私達は自分はだめだと思う時、どういう状態に陥るでしょうか。自分の殻に閉じこもったり、もうどうなったもいい、と投げやりになったりしないでしょうか。また、自信がもてるようにがんばる事もあるでしょう。
神の預言者エリアは王妃イゼべルの迫害で、預言者としての働きにすっかり自信をなくしてしまいます。神によって水と食べ物を与えられようやく神の山ホレブに着いたエリアは、「彼らは私の命を取ろうとねらっています」と神に訴える。そのエリアに神は、主の前に立て、と言われる。主にお会いせよ、即ち主を知りなさい、という事です。しかしエリアは主を知っていたからこそ主に仕えてきた。
そのエリアに、なお主を知るように言われる。全ての答えがそこにあるというのです。私達は行動を起す時、自信を取り戻すことを先ず考えますが、神は主を求めよと言われる。私達は主を信じている者かもしれません。それなら、どんな時でも新しく主を知らなければならない事を教えられるのです。エリアは神の細い御声を聞きわけて、働きの場に遣わされていく。
私は何をするか、したかではなく、あらゆる人生の失敗、挫折、病、の中で主を求め知り続ける事こそ神の求めておられる事だと知るのです。その時、だめな自分を生かして下さる神が私達を立たせてくださるのです。