御言葉メール862
2016年12月17日(記:辻嵐桂子)
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」(ヨハネの福音書1章9ー10節)
ヨハネの福音書には、マタイやルカに見られるような、いわゆる降誕物語は記されていない。
しかしその冒頭には、イエス・キリストの誕生の意味、その真理が如実に証しされている。
すなわち、クリスマスのメッセージがここに凝縮されているのである。
はじめから存在し、創造者でもある偉大な神が、私たちと同じような人となって世に来られた。
しかし世はこの方を知らなかった。
旧約の時代から、救い主の誕生を知らされてきたユダヤ人たちまでが、この方を拒み、遂には十字架につけたのである。
だがキリストはまさに、そのために卑しい姿をとって来られたのである。
罪によってまことの神を見失った世は闇にたとえられる。
キリストは光として世に来られた。神を説き明かすため、また、すべての闇のわざが明るみに出されるためである。
私たちが闇にとどまることはない。
その尊い血をもって私たちの罪を贖ってくださった神は、私たちを暗闇の圧制から救い出し、御子の栄光のご支配の中に移してくださったからである。
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書1章12節)