御言葉メール865
2017年1月7日(記:斎藤文子)
「私たちの聖所のあるところは、初めから高くあげられた栄光の王座である。イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。」(エレミヤ17の12)
2017年の年頭に、イスラエルの望みである主を私達の主と告白できる事を感謝します。この一年も、私達のあらゆる願いを通して、本当に私達の望みは神だけであると告白する者とさせていただけます様に。エレミヤの時代、エルサレムとその中のエルサレム神殿は絶対的な存在でした。決して敵に滅ぼされることはない、という迷信的な信頼がはびこっていました。それは神を信頼しているようで実は、目に見える物に信頼する姿でした。
エルサレム神殿があるから大丈夫、という誤った楽観主義がユダのエルサレム住民に蔓延していたのです。現代にキリスト者として生きる私達にも、神を信じていると言いながら健康や人、お金、才能など、目に見えるもので安心を得ようと思うなら、イスラエルの望みである神を捨てる事になる、とエレミヤは言うのです。私自身は意識していないと、自分が神を信頼しているのか、人だけに期待しているのか、お金に頼っているのかわからなくなります。
その自分の心がどこを向いているか教えてくれるのは聖書のことばです。聖書を通してイスラエルの望みである主を意識する一年となります様に。