御言葉メール895
2017年8月5日(記:斉藤文子)
「私たちが天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぐのをやめた時から、私たちは万事に不足し、剣とききんに滅ぼされた。」エレミヤ44の18
私たちは自分の事は自分が一番よくわかっているように思っています。しかし人間にわかっていることは自分の欲望、願いを通したい、という事です。それは自分の欲望からしか物事を見ることができない、ということです。
バビロン捕囚にされなかった民がエジプトへ逃亡を企てた時、エレミヤに上記のことばを言います。天の女王というのは天体崇拝のことで、マナセ王の55年の長い治世の中で行われていました。この時代は世俗を愛し、真実や正義を求めない人々にとって規制のない自由奔放な社会だったようです。その後にヨシュア王の宗教改革があり、天体崇拝が禁じられた。そしてまもなく南ユダ王国に、バビロンの勢力が迫ってきたので、彼らは天体崇拝を中止したから国が下降線をたどり、ついに滅亡してしまったのだ、と考えたのです。バビロン捕囚は、神への背信行為である偶像崇拝をやめようとしないユダ王国への神の裁きとして行われたものでした。それを再三、言われているにも関わらず、それがわからない。
私たちは自分の事がわかっている、と思う時むしろ気をつけなければならないのではないでしょうか。自分の欲望に引きずられると、大切な事実が見えなくなってしまうのです。