御言葉メール926
2018年4月7日(記:辻嵐桂子)
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。(マタイの福音書27章50-51節)
イエスの死に際して起こった様々な現象(暗闇、地震等)については、それぞれの福音書記者が記すところである。そして、これらのことを間近に見ていたローマの兵隊たちは、この方はまことに神の子であった。と告白した(54節)。
神殿の幕が上から真二つに裂けたこの現象は、3つの福音書に記されているが、それを実際に目撃したのは、神殿にいた祭司たちであったであろう。
後に得たこの証言は、重要かつ出来事の本質を象徴する事柄として、福音書に記された。
神殿の幕とはおそらく、聖所と至聖所を隔てる垂れ幕のことで(出エジプト記36章35節)、至聖所は、祭司と言えど決して入ってはならない、最も聖なる領域であった。垂れ幕の内側には大祭司だけが、定めに従い、年に一度、民の贖いをするために、いけにえの血を携えて入ることが出来た(レビ記16章参照)。
この垂れ幕は文字通り、神と人との間を隔てる、隔ての幕であった。
イエス・キリストの十字架の死は、神と人を隔てるもの(すなわち罪)を取り除くためのものであった。
上から下に裂けたということは、それが人手によらないことを表している。
私たちは信仰を頂き、キリストの贖いによって罪の赦しを得、生ける神の臨在に、分け隔てなく近付くことが出来るようになった。
それはすべて、神が救いの道を備えていてくれたからである。