御言葉メール933
2018年5月30日(記:斉藤文子)
「忌み嫌うべきことが、あなたの中にあるうちに、わたしはあなたの行いをあなたの上に返す。そのときあなたがたは、わたしが主であることを知る。」エゼキエル7の4
神様はイスラエルが神の教えから、はずれていく時に、預言者を通して教え警告される。それは、まるで親が子供を教え諭す様に、飽くことなく正していこうとされる。しかしイスラエルは、神の愛による忍耐を全く顧みない無頓着さで、欲望のままに偶像崇拝を続けるのです。そのイスラエルに、神は、裁きを通して「わたしが(神)主であることを知る」と、言われる。事実、バビロン捕囚後のイスラエルは、偶像崇拝をやめ、神のみを神として歩む様になりました。
私達キリスト者は、イスラエルと同じ様に、神に従えない者であるにもかかわらず、キリストを信じさせて頂き、罪が無い者とされ裁かれる事がありません。ただ罪が無い者としてみてくださっても、現実には罪の残しを抱えながら生きています。
神の民であるイスラエルが、神の愛を知りながらも偶像崇拝に走る時、辛い裁きを通しても神が主であることを教えられる。私達も罪や病、人間関係、仕事等を通して確かにイエスこそ主であると確認し、自分の願いではなく神のみこころを受け入れる者とされていくことを感謝しつつ期待するものです。