御言葉メール
2019年5月25日(記:斎藤文子)
「ここに大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」ヨハネ6の9
五つのパンと二匹の魚で五千人を養われたイエス様の奇蹟です。このパンと魚は、1人の少年のお弁当でした。イエス様のお弟子さんは、こんな一人分のお弁当がなんの役にたつのか、としか思わなかった。しかし少年は、お弟子さんの様に、こんなわずかな物は役に立たないと思わないで、主が求められた事を知って、ただ自分のお弁当を差し出したのです。
私は伝道者として、何もできないものだなあとよく思います。その時に、この少年の行為は、私も今、自分の出来る事がどんなにわずかでも、キリストを覚えてなす行為が大事なのだと教えられるのです。
更にお弁当を全部、差し出してしまったら、少年は自分の食べる分が無くなります。でも少年は、イエス様の求めに、自分の持っているもの全部を差し出します。それで少年はお弁当が食べれなくなったのではない。イエス様の祝福によって何万倍にも増し加えられて、勿論、少年もおなか一杯食べることができた。しかも自分一人だけではなく、みんなと一緒に食べて満たされた。
今の様に食べる物がなんでもすぐ手に入らない2千年前の記事ですが、何と豊かさを覚える事でしょうか。自分のもの、そして自分を神に差し出す事の祝福をここにみるからではないでしょうか。私達が自分のものを抱え込んで自分だけのものにしようとするなら、この記事の様な豊かさを経験することはないでしょう。