御言葉メール1001
2019年11月16日(記:斉藤文子)
「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハネ13の34
イエス様はまさに十字架につけられる前に、新しい戒めを与えられます。それが互いに愛し合いなさい、です。このすぐ前にイエスを売り渡すユダの裏切りがあります。イエス様はユダの裏切りを良くご存じでありながら、弟子の足を洗われ、勿論ユダの足も洗われる。ユダが背く者と知ってなお、しもべとなって仕えられる。この期に及んでなおユダを哀れみ、悔い改めの機会を与えようとされるイエスの愛。更にイエスはユダに一切れのパンを渡される。特別の好意をあらわす一切れのパンは、最後までユダの悔い改めを願われる悲しいまでの哀れみそのものの思いです。これから十字架につけられようとするイエスは、自分を裏切ろうとするユダを前にして、なお哀れみと愛を最後まで与えられた。確かにユダの裏切りは預言されていましたが、しかしイエスの愛は深い哀れみと同情を最後までユダに現わされた。
互いに愛し合いなさい、とイエスが言われる時の愛は、実はこのイエスの愛が目標なのです。この様に考えると、私達人間はとても無理、というしかありません。この愛は自然に、また人の努力や環境によってもたらされるものではないからです。この愛はキリストを信じて初めて教えられ与えられた、神様の賜物なのです。しかし私達は十字架の犠牲を通して、この神の愛を受けました。受ける価値の無い者に与えられた神の愛はただただ感謝して、神を仰ぎたいものです。