御言葉メール1039
2020年8月15日(記:斉藤文子)
「兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」第1コリント7の24
私は高校の時にイエス様を信じました。その頃は聖書の気にいったことばをつなぎあわせて、自分の理想のクリスチャン像を造って、その様にならなければいけないと思っていました。心優しく寛容で、そしてそのあげくは、プロテスタント教会にもある修道院に入らなければ、神だけを信じて生きていくことにはならないのではないだろうか、と考えていました。その思いの背景には、今の自分を何とか変えたい、今の環境から抜け出したいという思いがありました。
しかしそれから神様は、いろいろな所を通らせてくださり、聖書をどの様に理解するのか、また神様を信じた時の状態で先ず、生活することがどうして大切であるか、鈍い者の心を開き、少しずつ教えてくださいました。
今日の聖書個所は、結婚と独身、また奴隷、割礼という具体的な問題を巡って、それぞれの現実に即した勧告をパウロが与えています。そこから、クリスチャンのこの世での生き方の原則を導きだすのです。それはイエスを信じて外的にもきちんとしてキリスト者らしく歩みたい、という思いが、外面の変化を求めてしまった時です。
それに対してパウロは、神に救われたという事が一番重要な事である事を思い起こさせます。救われた時、制約があってもその中で先ず、主を喜びひたすら主を崇める。配偶者が未信者であっても、あるいは自分が奴隷であっても、その状態で救われたならそこでひたすら主に仕える。主イエスとの交わりに入れられた事に勝る喜びは ないからです。
ここでは勿論、社会体制の変化や状態を変える事の問題をとりあげてはいない事に注意しなければなりません。