御言葉メール1045
2020年9月27日(記:斉藤文子)
「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。」第1コリント9の19
パウロのキリスト教宣教の情熱には、いつも圧倒されます。現実的に開拓伝道を始めると、どうしたら人を集められるだろうか、とか、教会らしい会堂がないと人は来れないのだろうか、とか、私などもずいぶん悩んできたところです。悩んできたというのは、本当はそういう事が大事なことではないのではないか、と薄々気付きながら、それでも伝道者として働く事は、人を集めるための工夫も大事なのでは、と考えて葛藤するのです。
そういう葛藤を持っていた私は、パウロが伝道する動機が、ただキリストの救いにあずかって欲しいという一心であることにいつも心を探られてきました。一人でも多くの人をキリストに導くために、パウロはすべての人の奴隷になる、すなわち人に仕えるというのです。ユダヤ人にはユダヤ人に、異邦人には異邦人に、弱い人には弱い人になる。私の様に自分を守りたい、人から良く思われたいという思いでは、決してなれない。
しかしパウロがその様にできるのは、キリストへの愛と同時に、福音の豊かさを何とよく知っていたことだろうと、私は驚かされるのです。復活のキリストに出会い、いままでの旧約聖書の理解が全て一つにつながった。パウロの宣教の動機、神への愛、キリストとの深い交わりは、パウロの深い神知識からきていたのかーそれは私にとっては目からうろこでした。
伝道は人集めではなく、神がキリストがどういう方なのかを、あらゆる方法をもって伝え続けながら、私自身がさらにキリストとの深い交わりの中に生きる事のできる、神知識を与えられたいと思うのです。