御言葉メール1047
2020年10月10日(記:斉藤文子)
「これらの事は、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。」第1コリント10の6
モーセを中心として出エジプトしたイスラエルを、神は雲の柱、火の柱で道中を導かれました。喉が渇いたといえば水を与え、食べる者がないと言えばマナやうずらを与え、シナイの荒野の只中にあって、日用の必要を備えられた。この様に、エジプトで悲惨な奴隷の苦しみからイスラエルを解放して約束の地に導こうとされる神でした。
しかしこの神をイスラエルは信頼せず、偶像崇拝、姦淫、神へのつぶやきや試みで対抗したのです。特に全ての事、神によって導かれていながら、全くその事を忘れ簡単に偶像を作り拝む。その結果、彼らの大部分は荒野で滅び、モーセも約束の地に入る事はできなかった。
このイスラエルが犯した罪の実例は、私達がイスラエルと同じ様に悪を貪ることのないための戒めだと言われます。
私は自分の事を考えても、イスラエルと同じだなと思います。自分の周りの様々なものが、神以上に大切になる時、それは簡単に偶像になります。健康、家族、仕事やお金など。それらに執着すると、意識しないうちに貪りがはいってくる。神様に心を向けるようにされる時にのみ、貪りの罪から守られる哀れみを経験させていただきます。
この様に戒められなければ、いとも簡単にあらゆるものが気が付かないうちに、神以上の存在になっていく。キリストの救いに与り罪赦された私自身がどの様に生きていったらよいのかという目標を、みことばは示し続けてくれるのです。