御言葉メール1053
2020年11月22日
「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。」第1コリント12の27
2020年もコロナ禍にあって絆が叫ばれました。しかしその反対に、「自分ファ―スト」がまかり通り、分断が加速しました。自分ファ―ストに現わされる自分中心の生き方は人間本来の姿です。しかしそれでは人間は生きれない、と知ることができるのも人間です。神の像に造られた人間は、絆や一致を求めながらもそれができない、という呻きがあるのです。
パウロは、人はそれぞれ神によって与えられたものが、全く違うと言います。その違いを認めることができないために、人は争いをくり返し分断の裂け目が大きくなる。
パウロはキリストの教会は全くその逆で、キリストを頭としたキリストのからだが、教会に連なる一人一人だというのです。つまりパウロはキリストの教会を人間の体にたとえる。ある人は目、ある人は手、ある人は口。これらがばらばらに行動するなどあり得ない事。この世にこれだけ一体を表すたとえはないだろうと思われます。
罪は自己中心を生み出し、他者のために生きれない。しかしその人間を変えて、他者のために生きる様にさせてくださるのが、神であります。私は罪を持ちながらも赦し、変えてくださる神に期待できるところに絆は生まれる、と信じさせていただける事に尽きない感謝を持つ者です。